工房の森で
Mimi 2020.12.25
午後四時半ともなればすっかり暗くなってしまうこの時期になると思いだすのは、弱強調の韻の響きが美しい詩。Robert Frost(ロバート・フロスト)のStopping by Woods on a Snowy Eveningという詩だ。高校生の時、英語の教科書でこの詩を知った。
冬至の頃の夜、馬ぞりに乗った詩人は、湖と森の間の道の途中で停まって、森が雪に覆われて行くさまに見とれる。人気のない静かな世界。馬は、主人の行為を不審に思うのだろうか、首の鈴をチリンと鳴らす。唯一の他の音は、羽毛のような雪を運ぶ静かな風の音だけだ。
最後の連は、The woods are lovely, dark and deep. と始まる。美しく、暗く、深い森は、まるで魔法の世界だ。だが、魔力に魅いられた詩人は、突然我に返る。
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.
自分には果たさなければならない約束がある。そして眠る前に何マイルも進むべき道のりがある。最後、同じ行が繰り返されているところが、詩人が自分自身に言い聞かせているようで、印象が強まる。
初めてこの詩を読んだ時から、「約束」とは、詩人が自分自身に課した、生きている間にする課題のような気がしている。そして、私も、年末のこの時期になると、自分の抱えている課題について考える。論文の締切が近い時には、 “miles to go before I sleep”と念仏のように唱えて学問の寂しさに耐えた。ハープのクリスマス・コンサートが近い時には、やはりこの行を唱えながら夜更けまで練習に励んだ。「約束」は毎年変化する。
ある年の冬休み前の最後の授業で、大学の学生さんたちに、この詩を紹介し、どんな約束なのか考えて貰ったことがある。それぞれが自分の考えたストーリーを発表するのだ。ある人は、プレゼントを配らなければならないと頑張っているサンタクロースのことだと言った。またある人は、病気のお母さんのために薬草を取りに行くのだが、なかなか見つけられないでいる子供だと言う。そうかと思えば、出稼ぎのお父さんがお正月を家族で過ごそうと家路を急いでいる姿だと言う人もいて、千差万別、想像力に感心したものだ。だが、その時の自分自身に当てはめて考えた人はいなかったように思う。
さて、今年の私の「課題」は、Hさんの頭の制作である。彼女は去年マルタからキプロスに飛んだ時のキャビン・アテンダント。彼女が前方に現れた時、私は息をのんだ。「ギリシャの女神だ!」彫りの深い丹精な顔立ちは、ちょうど博物館で見たばかりのギリシャ彫刻のようだった。一つには、彼女が、きりっとした表情で前を見つめ、微笑んでいなかったこともある。実は、博物館のギリシャの女神を見て、模刻をしたいと思い、いろいろな角度から写真を撮ったばかりだった。だが、そんな大理石の模刻より、生身の人間の「この人の頭を作りたい」と切に思った。
キプロスの博物館で見た、ギリシャ女神像
知らない人に声をかけるのが不得意の私だが、どうしても彼女の頭を作りたい一心で、彼女が脇を通りかかった時に、” I know it’s a huge imposition,”(ものすごく勝手なお願いとはわかっているのですが)と言いながら声をかけた。あなたの頭を作りたいので、写真を撮らせて欲しい。答えはイエスだった。そして彼女の仕事が一段落した時に、写真をいろいろな角度から撮らせて貰った。
今年になって、私はその写真を元にHさんの頭を粘土で作り出した。だが、いざ写真を見て作るとなると、難題に直面したのだ。写真の彼女は微笑んでいて、私が感動したギリシャの女神ではない。どうしようもないので、写真のままに作った彼女の頭は、キャビン・アテンダントそのものだった。職業的な笑みを浮かべた、美人のキャビン・アテンダント。
だが、自分としては納得がいかない喪失感が残る。私が「あっ」と思って感動したギリシャ女神は、焼きあがったテラコッタの作品には宿っていない。
焼成前の頭
焼成された作品
そうだ、もう一度作ろう。今度は写真を元にしないで、自分の頭の中に残っている感動を手先に伝えて頭を作るのだ。
そうして、私は再チャレンジを始めた。写真を参考にしないので、なかなか形が作れない。そういうジレンマと闘いながらの再制作だ。今年も残すところ一週間。何とか年内に完成させようとしている。And miles to go before I sleep. と心の中で何度も反芻しながら。すると、工房はまだ見ぬ、フロストのヴァーモントの森になり、通りを行き交う車は音を失い、あたりは暗い雪景色になる。一人ぼっちで、私は頭の中だけに存在する女神の姿を求めて、粘土を足しては壊し、削っては壊しを繰り返す。フロストを乗せた馬ぞりが、前へ前へと進む姿を自分に重ねて、いつか必ず目的地に着くのだ、と信じて。
制作過程
目が開いた
完成を目指して…