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ダビデは羊飼いだった

Mimi 2020.11.26

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アルフォンス・ドーデ(Alfonse Daudet) の短編集、 『風車小屋だより』(Lettres de mon moulin)は、 それこそ「覆された宝石」のような珠玉のストーリーで出来ている。

中でも「星」(Les Étoiles)という話を、学生の時フランス語で読んで惹きつけられた。


語り手は羊飼いの青年。山でいつも一人ぼっち。
2週間に一度食糧を運んでくれる、農場の小僧かおばあさんから地元のニュースを聞くのだけが楽しみだ。
彼は密かに農場主の御嬢さんにあこがれの気持ちを抱いていた。だから御嬢さんの動静を聞くのは彼の密な喜びだった。
ところが、ある日、何としたことか、その御嬢さんがラバに乗って食糧を届けてくれた。御嬢さんは、羊飼いの小屋を見回し、その質素な生活ぶりを見て、 「ここで何のことを考えているの?」と訊くが、青年は狼狽しすぎて、「あなたのことですよ」という言葉も思い浮かばないのだった。
一度は家路についたはずの御嬢さんだったが、帰りの川が増水して帰れなくなり、戻って来る。そして二人は、空の星を見て夜を過ごすのだ。
青年は、御嬢さんに星座の名前や謂れを解説する。しかし、気づくと御嬢さんは彼の肩に頭を預けて眠っているのだった。青年は思う。 あの星の中で一番きれいで一番輝いている星が道に迷って彼の肩の上で休んでいると。


物語はここで終わる。純真で無垢な羊飼いの話である。

この話を読んで以来、羊飼いという仕事に、私はあこがれのような美しいロマンを感じていた。
それがひっくり返されたのは、南フランスに住む友人、マルテのアルプスの家に行った時だ。
彼女に付いて近所を散歩すると、道でいろいろなご近所さんと出くわす。
知的で学者肌のマルテとは全く違う顔つきの、純朴な田舎の人たちである。マルテは立ち止まっては楽しく会話し、私を紹介し、歩を進める。 そのうち、家と言うよりは小屋と言っていい建物から、真っ黒な顔の老人が出てきた。アフリカ系の人のように肌色が黒いのに、顔立ちはフランス人なので、 違和感がある。
マルテは、彼とも仲良く話をし、別れた。しばらく歩いてからマルテが言った。「彼の肌は黒かったでしょう。彼は羊飼いなのよ。 たまたま村に戻って来たんですって。」私は、羊飼いだから太陽に曝されてすっかり日焼けしたのだと思った。
ところがマルテは、「それもあるけど、彼はお風呂に年一回しか入らないの」と言うではないか。面倒臭いからだそうである。同じ理由で、結婚もしていない。

その羊飼いは、髪も短く、身なりも普通でホームレスには見えないし、フランスの乾燥した気候のせいか、そばにいて別に不潔とも臭いとも感じなかった。 (もしかしたら、一年ぶりのお風呂に入った直後だったかも。)
とにかく、彼との出会いで、私は羊飼いへのロマンチックな憧れの気持ちを大分削がれてしまった。 ドーデの短編の中で、青年と並んで座った御嬢さんは、青年が臭いと思わなかったかしら?などと思う。

ところが、ジェラルディン・ブルックス(Geraldine Brooks)の本、The Secret Chord を読んで、私は更に衝撃を受けた。
私の憧れの人、ダビデ王が実は羊飼い出身だったのだ。


Geraldine Brooks The Secret Chord の表紙

ハープを弾く者なら誰でも、ダビデ王とハープの話は知っている。
私は、ダビデは由緒正しき家柄の出身で、それゆえに王になり、ハープを嗜んだとばかり思っていたのだ。
とんでもない、ダビデは羊飼いをしながら、自分でハープを作成し、曲を作り歌ったのだった。 だが彼が一躍有名になったのは、ハープのせいではない。 羊飼いの後、徒党を組んで略奪者の生活をしていたダビデは、ペリシテ人のゴリアテという大男の首を討ち取った功績でその時の王サウルに見いだされたのだ。
ゴリアテに向かって行く時に、鎧を脱ぎ裸になって、投石袋に石を入れてそれを投げたのが命中した。
フィレンツェにある、ミケランジェロのダビデ像は、その時の姿を写している。ダビデが左肩に担いでいるのが投石袋である。



実は私、ハープを弾くダビデと、ミケランジェロのダビデとは別人だと思っていた。
というのは、ハープの歴史の本に出て来るダビデ王の肖像や石像は、さすが紀元前1000年の人だけあって、 神様だか人間だか判然としないほど古めかしく、とてもミケランジェロの描く永遠の青年のようなダビデと同一人物とは思えなかったのだ。


Roslyn Rensch の Harps & Harpists には、ダビデがハープを弾く像の写真がたくさん載っている





ブルックスの本でびっくりしたことは、ダビデが、お世辞にも賢い為政者とは言えない行為を繰り返したことだ。
例えば、部下の武将が戦地に赴いている間に、その若妻と同衾。妊娠させてしまう。それがばれるのを恐れて、 勇猛で立派な武将であるのに、わざと危険な任務に就かせて殺されるように仕向ける。
また、ある時は、別の者の妻になって、子供達も生まれて平和に暮らしていた元妻を取り戻し、追って来た夫を殺す。
ダビデの長男が、腹違いの妹(ダビデの唯一の娘)を凌辱した時にも、次の王になる者だからと、咎めだてしない。

この本の語り手は、預言者ナタンである。彼は、子供の頃、ダビデに逆らった親や兄弟を殺され、一人だけ助けられた。
そして、突然神がかりになる預言の能力を持つ故に、ダビデの傍にいて、彼の友人であり、参謀であり、戒める者としての役割を果たした。

ブルックスの創作ではない。ブルックスは旧約聖書の歴代誌に書かれていることを、忠実に辿っているのだ。
ブルックスの本を読んで、私のダビデ王に対するあこがれは、南フランスの黒い羊飼いを見た時に羊飼いに対する幻想が崩れた時以上に崩壊した。

だが、一つだけ、そう、たった一つだけ私がダビデに対して尊敬するところがある。
彼が片時もハープを手放さなかったことである。彼は、よく一人部屋にこもってハープを演奏した。誰かの曲を弾くのではない。 自分の感じる儘の曲を即興で弾いたのだ。ハープは彼の安らぎとなり、思索の糧となった。

私はハープを四台持っている。ゴールドのグランドハープ、アイリッシュ・ハープ、ワイヤ・ストラングハープ(中世の吟遊詩人が使ったものと同じ形)、 そしてハープシクル。それぞれ全く違う音を出すし、弾き方も違う。
だが、切れたガット弦を張り替えたり、調弦したりして維持するだけが精いっぱいで、ダビデのように ハープが自分の生活の一部になっているとは言い難い。弾くときも、楽譜に頼って練習するだけだ。

毎日のいろいろな雑事。ハープ演奏が出来ない口実はいくらでも作れる。こんなことではいけないな。ダビデとハープのように、私もハープと一体化出来ないか。
そのためには、HULUもYou TubeもAmazon Primeもない所に行かなければ。
そうだ、山の中の羊飼いになったつもりで、星空の下、ハープを弾いて孤独を慰めよう。お風呂だけは欲しいけれど。


グランドハープの柱頭は王冠型になっている


グランドハープ


右 アイリッシュ ハープ
左 ワイヤストラング ハープ


ロビンソン・ピンを後付けしたハープシクル

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