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「当たり前」を見直してわかった私に足りていないもの

ROSSO 2020.11.26

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私は、新型コロナウイルスの感染拡大を機に、これまで自身のライフスタイルで当たり前としてきた要素を見直すことに着手した。



それは、仕事の仕方や投資対象の選定基準をはじめ、将来のビジョンや友人・社員との関わり方に至るまでかなり広範囲にわたる。



では、このように先が見通せないときに当たり前を見直す経緯に至ったのか?それは、私の人間性や価値観と、人からの助言が関係している。



少し込み入った話になるが、私は成功する一方で、実は多くの物や人を失ってきた。詳細については触れないでおくが、失った項目の中には、本来失ってはいけないものも多く含まれている。



そのため、その都度失ったダメージを負うたびに人間性や価値観が歪んでしまい、傲慢になってしまったり、人の意見を聞き入れない独裁者のような人間になったりした時期もあるほどだ。

そして、何回も成功と失敗を繰り返すうちに、私はいつも同じところで躓く感覚に陥った。有能な人材であれば、数回の失敗から「なぜ失敗してしまうのか?」というパターンを見つけ出し直すことに着手するところだが、私は何度同じことが起こっても他人のせいにしたり、見て見ぬ振りをして直すことを躊躇ったり、成功しているという要素に胡座をかいて直すことをしてこなかった。



しかし、今回の新型コロナウイルスによって、今までの当たり前や日常が失われることを目の当たりにして、一度これまでの失敗と成功をすべて振り返ることにした。その中で見つけ出した成功と失敗の分岐点となる要素が「人への優しさ」である。



例えば、会社を経営することや投資をする際、人への優しさは一切必要ない。当然、社員や投資する際に関係する人への気配りや配慮は大切であるが、毎回その優しさをかけることはないだろう。

一方、普段関わる家族や友人たちであれば、その時々に合った優しさや配慮をすることが当然である。場合によっては、厳しい意見をすることも重要である。

文章にすると簡単なことのように思うかもしれないが、この両方の優しさを使い分けることは意外と難しいものだ。



特に私の場合は、この両方に線引きができておらず、不必要に人に干渉したり、仕事で求める優しさしかかけられなかったりと、人とのコミュニケーションの面でかなり失敗した経験がある。この年になってもこの線引きができていないのだから重症なのかもしれない……。

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