

ロシアへの旅 -1エルミタージュ美術館へ
Mimi 2017.03.24
どの美術館にも目玉がある。ルーブルの「モナリザ」のような。だが、エルミタージュ美術館、と聞いて「ああ、あれを見なくちゃ」と頭に思い浮かぶ美術作品があるだろうか?
美術館は絵を見に行くところ。でも、絵はどうでもいいからとにかく中に入ってみたいと思わせるのがエルミタージュ美術館だ。
2002年の12月に封切られた「エルミタージュ幻想」という映画を見て以来、エルミタージュ美術館に行ってみたいと思っていた。ロマノフ王朝300年の歴史上のいろいろな場面や人々が、部屋毎に現れる。

友人のゆり子さんと、3月半ば「エルミタージュ美術館6時間滞在」を売りにしているツアーに参加することにした。エルミタージュ美術館のあるサント・ペテルブルグに3日間滞在、その後モスクワに移動する一週間のツアーである。 出かける前に、東洋文庫でやっている「ロマノフ王朝展」に行き、ロマノフ王朝の家系とか、日本との関係などの知識を身に着けた。



「エルミタージュ幻想」の階段の場面を、ただただ「ステキー!」とうっとり眺めていた自分を私は恥じた。ラスプーチンの事件にしろ、政治への無関心にしろ、ロマノフ二世とその妻アレクサンドラは、弱者を顧みないことで自分たちの墓穴を掘ったことが本を読んで明らかになったからだ。あの階段を下っていた貴族の面々も同罪だ。そういうダークな意味合いを込めて、ソクーロフ監督は豪奢に徹する映画を撮ったのだろう。
出発前、モスクワに住むボリショイバレー団のSに、どんな靴がいる?と聞いたら、自分の靴の写真と道路の写真を送ってくれた。わあ、しゃりしゃりの雪道ではないか。あわててアマゾンで似たような靴を注文。出発の二日前に届く。出発の前日にはユニクロに行って、最後の一枚の「極暖」という名のズボンを入手。













7月のシベリア、ここは危険だから他に移動することになった、と幽閉されていたロマノフ一家は夜中に叩き起こされ、支度するように言われる。娘たちは、寝間着から着かえる支度に手間取る。医者、コック、クッション(その中には宝石箱が隠されている)を持った女中、飼い犬も一緒に地下の一室に集められると、そこは家具も取り払われている4畳程度の部屋。銃声が外に漏れないようにこの地下室が選ばれたのだ。そんなことを知らない一家は、ここで迎えのトラックが来るまで待つように言われる。ニコライ二世の妻、アレクサンドラが椅子もないの、と文句を言うと、二脚の簡素な椅子が運び込まれる。そこに、アレクサンドラと病気の9歳の息子アレクセイが座る。
トラックが来る音がする。実はそれは、彼らを移動させるためのトラックではなく、彼らの死体を運ぶトラックだった。 隊長のユロスキーが、ニコライ二世殺害の指示書を読み上げ、ニコライ二世がまず射殺される。次にアレクサンドラ。だが、息子のアレクセイと娘たちは撃たれてもなかなか死なない。彼らは衣服の下にぎっしりと宝石を隠して縫い込んだ下着を身に着けており、それが防弾チョッキとなったのだ。逃げまどう子供たち。アレクセイが追い詰められ、頭を撃ち抜かれる。二人ずつに分かれた娘たちも次々と殺される。最後の二人は、剣で刺されてから、とどめの銃弾を受けた。
彼らの恐怖はいかばかりだったろう。犬も含めてすべての死体がトラックに積み込まれた後に残ったのは、血まみれの椅子二脚。 そういった凄惨な場面を想像していると、昼間見た豪華な椅子の数々を思い出した。玉座、そして、部屋ごとに違う立派な椅子の数々。


今になってからだと、ニコライ二世一家の貧農を無視する態度を非難できるが、あのように豪華な宮殿でお追従する貴族たちだけに囲まれて生まれ育っていると、国民の貧困生活など想像もつかなかったのかもしれない。
娘たちが身に着け、防弾チョッキの役目をした宝石も、結局は「死」という運命を食い止めることは出来なかった。人間としての死だけではない。ロマノフ王朝そのものの死を。