立てば芍薬 座れば???
Mimi 2017.01.24
外国の友人たちと別荘でお正月を迎えることが良くある。まるで食材で彩り豊かな絵を描いたように豪華なおせちをみんな喜ぶが、内容を説明するのは難しい。おもちをライス・ケーキと呼んだり、かまぼこをフィッシュ・ペーストと説明しているうちは良いが、マツタケをマッシュルームとしか訳せないのがちょっと悔しい。マツタケはそこらのシイタケやエノキなんかと違って高級なの、と言っても有難さが分かってもらえない。 今年の元旦に、私は別荘の庭の山茶花を水彩で描いた。出来たのを、アイフォンで写真に撮ってニュージーランドの友達にメールで送った。 すぐに返事が来た。バラの絵をありがとう、と書いてある。「違う。山茶花よ。」と書こうとして、山茶花を英語で何というのか調べて見た。それがなんと,カメリア なのである。カメリアは椿と覚えていた私はびっくり。山茶花もカメリアなのか。でも、私は、山茶花と言えばカジュアルな雰囲気で、生垣で可憐に咲いている印象だし、椿は庭の良い位置でぼってりと豪華に咲くような気がするのだ。
このことは、去年、リチャード・フラナガンの『The Narrow Road to the Deep North』を原書で読んだ時の一件を思い出させた。
冒頭の部分に、
A bee
staggers out
of the peony
Basho
と芭蕉の句の英訳が載っている。ピオニーを芍薬と覚えていた私は、「芭蕉」「芍薬」で検索してみたが見つからない。結局、もとの芭蕉の句は、『野ざらし紀行』の中の「牡丹蕊深く分け出る蜂の名残哉」だとわかった。牡丹も英語でピオニーなのだとその時知ったのだ。
芍薬も牡丹も同じピオニーとしか訳せないなら、「立てば芍薬座れば牡丹」なんて訳しようがないではないか。 こんな風に、私のお正月は、日本語の奥深さを感じることから始まった。
東京に戻ってから今年も「ニッポン音展」に行った。これは入谷にある「いりや画廊」で毎年一月に数日間に渡って開かれる和のコンサートで、今回は7回め。私は第一回目から参加させていただいている。 普段は歌舞伎座に行かないと聞かないような和楽器や長唄、義太夫、お能やそれに纏わるお話など、「和の世界」が凝縮したような数日間である。
今年は、和楽器体験もさせて貰った。太鼓は素人でも叩けばよい音がするので、心地よい。だが、気をよくした友人が鼓を打たせてもらったら、くぐもった音しか出ない。鼓の奥の深さを垣間見た気がした。
楽しい和の音楽の幕間には、画廊のオーナーお気に入りの日本酒が供される。普段は日本酒など口にすることのない私だが、おいしくいただく。
演目の終わりは出席者全員での「三人吉三」朗誦。望月太左衛氏の明るく威勢の良い声に誘われて、みんな一所懸命。
月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、 冷てえ風も微酔(ほろよい)に心持よくうかうかと ・・・ こいつぁ春から縁起がいいわえ
七五調の心地よいリズムに乗っているうち、いつの間にか、日本人と生まれた喜びが込み上げてくる。 最後の手締めの前に「日本製」の鈴が出席者に配られた。直径1センチほどの小さな鈴なのに澄んだ音がして響きもよい。浅草の専門店の物だとのこと。それを指にはめて手締めするとシャンシャンとお正月ムードがいっぱい。 翌週には、「胡弓と箏の調べ」と題されたコンサートへ。千駄木にある古い洋館「島薗家住宅」で行われた。
白梅の咲く庭の見える板の間に緋毛氈をひいて、二人の演者が演奏する。最初の演目は「ゆき」(峰崎勾当作曲、流石庵羽積作詞)。佐藤寛將氏の胡弓、元井美智子氏の三絃と唄。
阿吽の呼吸というのはこのことか、ゆったりした流れ。三絃の爪弾きに絶妙な間合いで胡弓が答える。歌舞伎の道行の場面が蘇る。時間の流れが、もう現代のそれではない。とろんとした、濃密でゆったりとした別世界にいざなわれる。ふと、2017年に戻れるかしら、という不安。戻れなくていいや、このまんまで、と別の自分が言う。
そうだ、こういうタイムスリップしたような感覚こそ、現代に生きる私たちには必要なんだ、と気づく。 今年はお箏を弾こうと思う。母に貰ったお箏があるのだもの。今、箏の入れ物を佐賀錦の袋帯から作って貰っている。