クロアチアの出会い
Mimi 2016.12.14
でも、そこで私の目をくぎ付けにしたのは、彼女だった。 彼女はその国立公園のガイド。彼女の頭文字 “I” にちなんで「愛さん」と呼ぶことにしよう。
愛さんを見た瞬間、「この人の首をテラコッタで作りたい」と思った。クロアチアにはきれいな人がたくさんいたが、そんな衝動に駆られたのは初めてだった。それも、ちょっと作ってみたい、ぐらいの軽い気持ちではない。是非とも作りたい、どうしても作りたい、本当に本当に作りたい、と強く願ったのだ。愛さんは化粧気のない顔に、髪は無造作に後ろで団子。服はジーンズに古びたトレーナー。お世辞にもおしゃれな格好ではなかったが美しかった。
それも、ただ美しいだけではない、「何か」があった。何気ない微笑みの中に潜む「何か」、それが私の心を捉えたのだ。でも、その「何か」は私が声をかけるのをためらわせた。 私は、そんなにも彼女の首を作りたいと願っているのに、そのことを彼女に伝えることも出来ず、うじうじしていた。そして、スパイさながらに、湖や滝を写真で撮るふりをして、彼女を写したり、遊覧船の奥に引っ込んだガラス越しの彼女を遠くから望遠で写真に撮ったり、スケッチしたりしていた。そして自分の勇気のなさを嘆き、責めていた。 心の中で葛藤しているうちに時は過ぎ、湖群の見学が終わりに近づいた。後10分ほどで彼女ともお別れだ。ここであきらめて、日本に帰ってから後悔するの?
ついに勇気を振り絞り、愛さんに、あなたの首を作りたいのだけれど、いろいろな角度から写真を撮らせてくださらない?と勇気を出して聞いた。OKだった。わああ、嬉しい。
写真を撮らせてもらい、首が出来上がったら写真を送るから、ということで、連絡先も教えて貰った。 帰国後、早速首作りが始まった。場所は私の属する陶芸教室。まわりの人が皿や茶碗をこしらえている時、私は一人黙々と首を作る。「そんな役に立たない物を」とは誰も言わないが、自分でもなんでこんなに作りたいのか分からず不思議だ。
教室に行かない時にも、私のバッグには必ずジップロックに入った小さな紙粘土が忍ばせてある。電車で座ると、その紙粘土を取り出し、何気なく向かいに座っている人の口、鼻あたりを観察し、造型の練習するのだ。膝のバッグの陰で、手元を見ずにぐにょぐにょ作るから、誰にも気づかれない。短い乗車時間だと、一人か二人しか出来ないが、それでも一日数人は練習できる。電車の席がいっぱいで座れない時には、近くにいる人の耳を観察。絵を描く時でもそうだが、「こんなものは初めて見る」というような気持ちで耳を見て描かなければ、その人物を描いたことにはならない。
だんだん頭が出来上がって行く様子は愛さんに写真で送る。そうこうしているうちに、愛さんからもボーイフレンド(今後はDと呼ぶ)との写真や、国立公園の四季の変化の写真、家族の写真などが送られてくる。いつの間にか彼女とメル友になっていた。
彼女とDとが一緒に写っている写真は、いつも深刻な顔をしてカメラを見つめていて、幸せそうに見えない。厚い暗い色のジャケットを着て、あたりが寒そうだから余計そう思えるのかもしれない。そう思ったが、夏になって海辺での水着姿の写真でも同じだ。
愛さんが書いてきた。「私の願いは、Dと結婚して子供を作ることなの。」それは、24歳の女性にしてはまっとうな願いで、私の感覚からすれば、すぐにも叶えられそうなことだった。だが、彼女としては、それが「夢」のようなものだと言うことは、その後の彼女のメールで徐々に明らかになって来た。
Dは、2年前に雪の日に転び骨折したら、職を首になり、それ以来仕事が見つからない。愛さんはガイドとしての仕事があるが、それで家族を養っている。お父さんは20年前の戦争で銃弾が足に入り、それを取り出せずにいて、ちゃんと歩けず無職。お母さんは医者だったが、糖尿病で目が不自由になり無職。弟は小さい時に脳膜炎になり、小学校は何とか出たが家にいる。妹は高校を出ても大学に行く余裕はなく、その資金を貯めたくても仕事がない。
日本で私の周りにこんなに苦労している家族はいない。私は思わずメールで、「あなたがDと一緒にいる時の写真が幸せそうに見えない訳がわかったわ。」と書いてしまった。すると、彼女は、「そうじゃないの。本当にDといる時、私は幸せなのよ。」と書いてきた。
愛さんの月給は日本円にして月に6万円程度らしい。食べていけるのは、家に畑があり、お父さんとお母さんが、他の人のようには働けなくとも、何とか耕しているから。(作物を売ることは禁止されているという。)
冬の間家を温めるマキ代は、一冬15万円くらいかかるという。だが、それも彼女の場合は家の山から切り出してくるから必要ないのだとか。それでも生活は苦しい。
私は、彼女に少しでも笑顔を浮かべて貰えるように、日本の若い女性が持っているバッグ、ドレスなどを時々送った。彼女は、私が送ったバッグやリュックを持ってDと国立公園に行ったことなどを書いてきた。
愛さんは私の息子と殆ど同年代だが、息子や友達はポルシェやマセラッティを乗り回し、車代に湯水のようにお金を使っている。1リットルのガソリンで3キロしか走れないなんて!私には理解できない世界を傍観してきたが、愛さんと知り合って以来、日本の平和の有難さを深く感じるようになった。だが、私の心が寄り添えるのは愛さんの喜びや悲しみだった。
いつの間にか、私は彼女の相談相手になっていた。Dが数百キロ先の町で仕事が見つかったのだけれど、どうすればいい?私は、国立公園専属のガイドで、ここを離れられないし、とか、もっと深刻な問題も。彼女は、私に書くことで、自分の心の声を確かめたかったのかもしれない。
首を作る時、私にはもう愛さんの写真は必要なかった。私の指先が彼女の心のひだに寄り添うように動くうち、作品は完成した。未来の幸せを信じて微笑んでいる若いクロアチアの女性の姿。
【日本橋、好文画廊での展覧会の時の写真】
Dは結局愛さんと別れがたく遠くの仕事を蹴った。だが、結局地元で仕事が見つかった。
今年の初め、愛さんがDと家を建て始めたと書いてきた。自分で家を建てるなんて!そんなことが出来るの?と私は驚いた。二人で力を合わせて建てているとのこと。
次に、数か月前、彼女が妊娠したと報告してきた。彼もとても喜んでいるということでほっとした。 そして、彼女は結婚。結婚式の写真で彼女がなんと輝いている事か! ひと月ほど前、彼女に待望の赤ちゃんが生まれた。男の子だ。 2年半前に私が愛さんと出会った時点では、Dと結婚して赤ちゃんを授かるなんて夢のまた夢だったのに、彼女は持前の粘り強さでそれを実現した。
勇気を出して彼女に首のモデルになって欲しいとお願いしたことから生まれた出会い。そして今、私には彼女が持つ魅力が「何か」わかる。私をして声をかけるのを躊躇させ、私をそんなにも惹きつけた彼女の魅力。それは愛さんの凛とした矜持。ぶれないDへの愛。幸せへの希求。
クロアチアで育まれているこの小さな幸せを私はずっと見守って行こう。
Merry Christmas!