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日本橋の三越で芸術の秋

Mimi 2024.10.04

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今年も、マジッククラブのメンバーで、三越劇場で行われる「テンヨーマジックフェスティバル」に行った。何か月も前から前売り券を買って、楽しみにしていた、このフェスティバル、今年は第64回だそうだ。


テンヨーマジックフェスティバルのプログラムの表紙


13:00のマジックショー開演を前に、午前中は同じ三越の日本伝統工芸展を見ることにした。こちらの方は第71回だという。さすが日本最古のデパート、歴史が詰まっている。陶芸、漆芸、金工、竹細工、人形、染色など、その道の専門家が精力を傾けて作った作品群には行くたび息を呑む。


日本伝統工芸展 会場図


午前と午後で芸術とマジックという全く違う分野を楽しむのに、体力が持つかどうか心配だったけれど、とにかく見たい一心で出かけた。

伝統工芸と言っても、伝統の技をそのまま作品にしたものは、ここで通用しない。新しい技術を工夫して、現代人の感覚にそぐう作品が求められるのだ。それも、奇をてらうのではなく、美しいものでなければならない。この展覧会には精緻で、丁寧に作りこんだ作品が出品されるのが常である。

気に入った作品の写真を撮っておこうと思ったのだが、どれもこれも気に入ってしまい、気づいたら沢山撮っていた。それも、いろいろな方向から。

その中のいくつかの作品をここで紹介しようと思う。まずは、ビッグネーム。 ビッグネームの窯元に生まれるのは、名誉なことに違いないが、期待値も高く設定されているので、それなりに苦労や葛藤もあると思う。そんな一人、今泉今右衛門の鉢は美しかった。墨はじきと言って、墨で描いてから焼成すると、その部分の色が抜けるという技法を使っているのだが、今年は、墨色がない部分との対比が絶妙で、遠くからでも目を引くのだ。横から見た景色は、まるで木漏れ日のようだ。






下のお皿には象嵌が施されている。こんなにチョーが付くほど精緻に象嵌を施す技術にも驚くが、大きなお皿が歪みもなく焼成されているのにも感嘆する。こういうのを見ると、芸術家というのは、数学者や科学者でなければならないのだなあ、と思ってしまう。





お花が好きな私は、すっきりした白い鉢にも魅了されてしまう。花の形をしていて、内側にも花びらの重なりが表現されている。





絞り染めを思わせるような、蛍手(粘土で陶器を作る時に小さな穴をあけて作り、素焼きの後、穴の部分に透明な釉薬が入るよう釉掛けすることで、透過性のある部分を作る)手法の花器はショパンの「雨だれ」が似合いそう。





練り込みといって、色の陶土を組み合わせて金太郎飴のように切る手法の皿も、歪みなく正確にカットされていて、驚くばかり。






どうやったらこんなに細かい絵が描けるの?と思うくらい、小さい容器の蓋に精密画が描かれているのも素敵。





陶器ではなく、七宝でも精密画を見つけた。





截金飾り箱も、ただただ感嘆するばかり。江里という苗字に、ああ、亡くなった江里佐代子さんの娘さんなのだ、と推測し、伝統技術が受け継がれているのにほっとする。この作品は、花火を現しているが、猪熊兼樹氏によると、花火が上がった瞬間の景色ばかりでなく、音やリズムまでが表現されていると言う。このまま、正倉院の御物になっても良いような作品だと思った。





ガラス作品で美しいと思ったのは、私の大好きな薔薇、マダム・ピエール・オジェを彷彿とさせる鉢。見た途端、わっ私の好きな薔薇、と思って、しゃがんでみたら、ほらね、オジェのように重ね花びらになっていた。






人形で一番気に入ったのは、「夏の夜」という作品。誰かにモデルになって貰って、「そのままじっとしていてください」と言って作る作品ではない。この男の子は、自分がモデルになるなんて考えもしないで、お月様でも眺めているのだ。こういう、無作為の妙が私の理想とするところだ。わたしは、自分で作品を作る時、モデルに似せようとするあまり、どこか第一印象で受けた雰囲気や感動が表せなくなってしまう。道は遠い、と自覚させられた作品だ。


ポーズをとって身構えている人形の中で、のほほんと月を見ている男の子が一人(手前から3人目)





漆芸でも、これでは肩こりで何度もマッサージ屋さんに通わなければならないだろう、と思ってしまう作品があった。息を詰めてこんな細かな細工をすることを想像しただけで、胃が痛くなってしまう。





この他、田中一村の絵のような柄とか、伝統の柄を組み合わせて大胆な模様の着物もあり、細かな細工を見て疲れた目を癒してくれた。





さて、 次は、一階降りて三越劇場へ。


三越劇場のプログラム



桂川新平氏


本日の目玉は、桂川新平氏。彼の経歴は異色だ。三歳からバイオリンを初め、音大へ。その後音楽教師を経てマジシャンになったのだ。彼はクラシックの素養を生かしたマジックで、ヨーロッパを中心に活躍しているという。この日彼が披露したのは、カードマジックだ。

桂川氏の背後に弦楽五重奏団が控えて、正統なクラシック音楽を演奏する。それも、皆一流のミュージシャンで、聞き惚れてしまうほどの演奏だ。桂川氏にかかると、音楽は単にマジックのバックミュージックではないのだ。音楽がマジックを具現すると言うか、その逆と言うか、見たことのない融合なのだ。例えば、ビバルディの四季では、「夏」には夏のマジックを見せ、「冬」には演奏に合わせて雪に見立てた白色のカード。ところが「春」の訪れと共に、カードの裏面が思いもよらずに全部色とりどりのパステルカラーのカードに変身してマジック終了。客席からは、思わずワーッという歓声。今後、ビバルディの「春」を聞いたら色とりどりのカードが目に浮かぶのは必至だ。


ビバルディの曲が、冬から春に季節が変わると、今まで雪の白だったカードが色とりどりに変身する
(NHKの世界マジック紀行in スペインより)


日本橋の三越に行く前は、午前は工芸、午後はマジックと、全く違う分野を楽しむのだと思っていたが、実はそうではないことに気づいた。桂川氏もマジックという伝統工芸の作家の一人なのだ。マジシャンと言うものは、古来から存在し、常に自分を磨き、新しい技術を開発しているものだが、桂川氏の場合、誰もやったことのない、マジックと音楽の融合を成し遂げた。すごいなあ、カード一箱で、どんな大がかりな装置でも出来ない驚きと感動を与えられるなんて。

ショーの後マジックの先生とお茶をし終わった時にはすっかり暗くなっていた。その日見た工芸とマジックという芸術作品を反芻しながら家路についた。

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