F1(エフワン)の収穫物は千石三丁目のニンジン
Mimi 2024.07.03
息子はF1(Formula 1)が大好き。F1のシーズンに外国の選手たちの日本入りの日や航空機にあたりを付けて、羽田空港まで行ったりする。そして、運よく選手の誰それのサインを貰えると喜んでいる。
ゲンちゃんの背中のサイン
F1の開催日時が決まるや否や、名古屋のマリオットホテルを予約し、切符が売り出されると正に分秒を争って切符と駐車場を入手する。
F1には全く興味のない私は、そんな息子の姿を、ちょっと呆れて傍観していた。
だが、去年の秋、家族みんなで平和島に「グランツーリスモ」という4DX映画を見に行き、座席がガタガタ揺れたり、風が吹き込むような体感型の映画館を経験してから、F1に興味を持つようになった。
その映画の存在を教えてくれたのは、映画の題名の元になったグランツーリスモというゲームの作成に関わっている田中辰秀氏で、その田中氏こそ、私が愛蔵する塑像の作家でもいらっしゃる。
私はその像に惚れ込んで手に入れたときには、モデルが誰なのか知らなかったが、キミ・ライコネンをオマージュした像だと分かった後には、キミの伝記も読み、F1選手がどんなに大変な生き方をしているかを学んだ。でも、F1はまだ遠い存在だった。
田中辰秀氏制作のテラコッタ像
キミ・ライコネンの伝記本
ところがF1開幕直前になり、切符が一枚あると息子。毎年息子たちと一緒に行くウチヤマダ御夫婦のうち奥様が行かれなくなったのだ。
じゃあ、この機会を利用して行ってみようかな。そこでウチヤマダ君、息子一家三人、私の計五人で鈴鹿サーキットへ行くことになった。
あらゆる天候に対応できるようにと息子から指示があった。雨が降っても傘はさせないし、寒いかもしれないし、暑いかもしれないとのこと。
そこで、急ぎ、アマゾンで雨合羽や防音のマフを注文。でも、一体何が必要なのかはわからないので不安は残る。
全身覆うポンチョ
靴の上から履ける長靴
防音用イヤーマフ
土曜日の朝に新幹線で出発して予選を見て一泊、日曜は決勝を見てから東京に帰るというスケジュールだ。
F1の開催時期、名古屋のホテルはビジネスホテルでさえも一泊百万すると言う。私は、別荘に泊まることにする。
一日目は、全員同じ新幹線に乗り、名古屋からレンタカーで鈴鹿に行った。
ようやく鈴鹿の駐車場に着くと、そこは単なる空地に過ぎないのだが、申込み開始から5分で完売になったという。貴重な区画だ。
駐車場はただの空き地
テントの住民も
カッコ良い車も止まっている
二区画入手して、自分の車の隣にテントを張って泊まる人もいるらしい。すごい熱意!
駐車場からF1の会場へはごろごろ道を15分ほど歩く必要がある。ところが、わたしはさっさと歩けない。U君に荷物を持ってもらい、腕につかまらせてもらって必死に歩く。
ようやくサーキットに着くと、席は、出発ゲートが眼前に見える位置。息子が切符の売り出し開始とともに頑張って取っただけある、良い位置だ。
大きな表示板—これにレース中の車が映し出される
私たちの席は出発ゲートのすぐ上
救急車も常に待機
ああ、それにしてもこの熱気。そしてほとんど全員似たようなシャツを着ている。息子が、よくPetronas とか書いてあるシャツを着ていて意味不明だったが、ここが聖地だったのね。
チームのシャツや帽子などのグッズを扱う売店もたいした賑わいだ。息子は、到着してすぐにお目当ての帽子を買おうとしたら、もう品切れだったと残念がっている。それにしても、ただのコットンのTシャツが一万数千円もするなんて知らなかったよ。
お揃いのシャツお似合い
皆さん、似たようなシャツを着ている。
土曜日は予選。翌日は決戦。
F1素人の私には、まったく付いて行けないスピードだった。出発ゲートのすぐ上から見ているので、ビュンビュンと次々出発するのは見えるのだが、そこから後は何がなんだかわからない。たまに車が戻って来てピットでタイヤ交換をするのだが、それが2秒くらいしかかからないのにはびっくりした。
なんでも早すぎて、左隣のウチヤマダ君と、右隣に坐っている知らない親切なオジサンに、説明して貰いながらなんとか状況を把握しようと努める。
F1風景
イヤーマフしていてもすごい爆音
例えば、使うタイヤは決まっていて、必ずピットインして、それを使わなければいけないというルール。
選手はヘルメットの下に防火用の帽子を着用していて、万一に備えている。
その他、ペナルティ・ポイントはどんな時にとられるか。
大きな看板を掲げて車に見えるように掲げている人は、後ろの車と何秒差なのかを知らせている、等々。
両隣が親切な人たちで良かった。 とにかく、車を見ても誰の車か判別できない私は、電光掲示板を見るしか順位が分からない。
順位を知らせるこの表示板が唯一の頼り
そんなわけで、私のF1体験は、わけがわからないうちに終了した。 でも、F1はともかく、私にとっての良い思い出も出来た。
ひとつは、先の田中辰秀氏がご家族で観戦にいらしていて、わざわざ私の席近くまで会いに来てくださったこと。二歳のお嬢さんはお初だったが、お目めパッチリでとても可愛らしい。
ご一家にお目にかかれて本当に嬉しかった。
もう一つは、名古屋と鈴鹿サーキットの往復の車の中の余興である。
孫のゲンちゃんの希望で、延々と「山手線ゲーム」をやったのだ。これには、ちゃんと開催宣言のルールがある。わたしが適当に始めると、ゲンちゃんはご機嫌が悪い。ママがちゃんと正しい文言で宣言することからこのゲームは始まる。
「山手線ゲーム。お題はー、」の後に一呼吸開ける。
その後、おもむろに「野菜の名前」(お題は次々変わるのだが)と続くのだ。
それから、拍手を二回パチパチして、「大根」(全員でパチパチ)、「キャベツ」(パチパチ)というように、思いつくままに野菜の名前を順番に言っていく。だいたいメジャーの野菜が出払ってしまってからが、大変だ。わたしも「ロマネスコ」だの「聖護院カブ」だの「万願寺トウガラシ」だの、「五郎島金時」だの、頭を振り絞って考える。
さて、ゲンちゃんが自分の番が来た時高い声で言った。
「せんごく三丁目のにんじん」
千石三丁目は都バスのバス停。ゲンちゃんは野菜の名前の前に付けたのだ。勿論、千石三丁目にはにんじん畑などない。車に乗っているみんなも、ゲンちゃんが飽きないで車に乗っていてくれればそれで良いので、そんな答えも勿論「有り」。
それからは、ゲンちゃんの答えは、「せんごく三丁目のにんじん」一本やりになった。それでも、みんなで「わあ」とか「おお」とか言ってほめたたえる。大人たちは真面目にゲームを続けるのだが。
お蔭でゲンちゃんは、車の中で飽きないでいられた。彼は、大人たちが「うーん、うーん」と言って苦戦しているのを見て楽しんだのだ。
F1についてはフェルスタッペンが優勝したこと以外覚えていない。だが「せんごく三丁目のにんじん」は、私のF1の貴重な収穫物だ。