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生きているのは○○のお蔭

Mimi 2024.04.12

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わたしのように頭を怪我した場合、お医者さんがやれることをやった後は、理学療法士が引き継ぐらしい。毎日理学療法士さんが部屋に来てくれて、リハビリ室に行く。
部屋から一歩も出ないで過ごしていたので、最初は、よろよろしか歩けなかったが、だんだん一人でも歩けるようになり、自転車漕ぎの時間も伸びて行った。
そして退院の日を迎えた。


私は、お医者さん、看護師さん、そして理学療法士さんのお蔭で良くなったのだと思っていた。


それを覆す発言をしたのが、弘子さんだ。Line に彼女は書いたのだ。


Mimiはよっぽどお父様に守られているのね。


実は、私は亡き父のことをすっかり忘れていた。でも、彼女の言により、アッ、と気づいた。
パパが私を見守っていて、まだ地上でやりたいことがあるだろう、それをおやりなさい、と後押ししてくれたのではないか、と思った。また、高齢の母のこともよろしくと。


そういえば、理学療法士さんが、わたしの頭に異常がないか検査した時、検査用紙の一番下に、好きな文を書いてくださいと言った。
思いつくままに書いた一文は、


Efforcez-vous d’entrer par la porte étroite.


小さい頃から、父はいろいろな名言や格言をフランス語やラテン語の原語で私に教えたが、これもそのひとつ。「力を尽くして狭き門より入れ」という意味だ。
療法士さんは、フランス語で文を書く人なんて珍しいらしく、これってどういう意味なのですか、と訝しげに訊いたが、わたしも、パッと思いついた言葉が父の教えてくれた文だったことに驚いたものだ。


もう、その時点でパパに守られているって気づくべきだったんだけど、ごめんね、パパ。


父だけではない、天国に行った仲良しの友だちも、まだあなたは来ちゃだめよ、
と押し戻してくれた気がする。


病院に楽しいLine やメールを送ってくれた現世のお友だちも、単にわたしの暇つぶしの役割ではなく、励ましの気持ちが私を快復に導いてくれたと言える。
入院中は面会禁止だったが、その禁止網をかいくぐって、庭師の奥様は近くの五社神社のお守りを届けてくださった。看護師さんに監視されながら、私は部屋の中、彼女は数メートル離れた廊下で、互いに手を振りあって挨拶することしか出来なかったが、その優しいお心は有難かった。
お守りはベッドサイドにぶら下げて、毎日眺めていた。



左から、五社神社のお守り、ベッドの上げ下げのリモコン、ソーラー電波時計、ナースコールの呼び鈴
ベッドの柵に吊るした四種の神器


別荘の近くの恭子さんは、私に余計な負担をかけさせまいと連絡を取ったりしなかったが、退院の時には迎えに来てくれて、大量の荷物を別荘に運んでくれた。


退院して東京に帰ってから、弘子さんが、田無神社のお守りを届けてくれた。
都心から離れたところに住んでいるのに。それも私を気遣って夜のうちにそっと来て、おいしいものと一緒にポストに入れてくれたのだ。
その他、多くの方々が、心からのお見舞いの気持ちを示してくれた。
そういう、目に見えない祈りの力っていうのは、ものすごいパワーがあるのではないか。



一番上が田無神社のお守り。その下が、中国人のセキさんがくれた新年のお飾り。
そのほかわたしの好きなもの。


私は、あまり超自然的なことを信じないのだが、不思議な現象に遭遇することが時々ある。
夫のお父さまが亡くなった時もそうだ。お棺に入れるのに、菊の花を買いましょうか、と母と話した夜、夢の中に義父が現れた。「菊の花はいやだ」と言う。どうして?と訊くと「臭いから。」じゃあ、何のお花が良いのですか、と訊くと「カーネーション」と言った。そこで、翌日白いカーネーションを買いに行ったがどこにも売っていない。
ところが、お葬式の前日、私が別の用事で外出した時に、足が勝手に思わぬ方に歩き出して、お花屋さんの前で止まった。覗くと、大量に白いカーネーション。入荷したばかりだとか。お義父さまが私を導いてくれたとしか思えない。お蔭でお好みの香りの花をお棺に入れられた。わたしは、この時初めて白いカーネーションが清々しい良い香りがすると知ったのだ。
これまでは、不思議なこと、と片付けていた現象も、もしかしたら科学的に解明できないだけで、ちゃんと意義あって存在するのだ。


人間だけではない、薔薇たちも私を応援してくれたのだと思う。
五つ星ホテルの心地よさの病院だったが、わたしにはどうしても家に帰らなければならない事情があった。薔薇の剪定を済ませたかったのだ。業者の人に、例年通り2月初旬にバラの土替えを頼んであった。それまでに剪定を終わらせねばならない。
東京に帰ってからは、毎日剪定をし、土替え前にすべて済ませることが出来た。
50くらいある薔薇の鉢は、私が突然死んだら、多分誰もお世話しないまま殉死してしまうだろう。でも、私が生きている間は、精一杯お世話しようと思っている。薔薇たちも、私の快復を強く願ってくれたに違いない。



薔薇の季節。先駆けはモッコウバラ


表題に「生きているのは○○のお蔭」と書いたが、○○には、森羅万象が入るのだ。
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