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入院生活の極意 ──想像力を広げて

Mimi 2024.04.11

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別荘の石垣から逆さに落ちて、その後一か月近い入院生活を送ることになった。
見た目の外傷はないのだが、診断は外傷性くも膜下出血。


担当医は伊佐治先生。この先生が、サイコーなのだ。
どうしてかといえば、一瞬にして患者に安心感と希望を与られるのだ。看護師さんたちによれば名医の誉れ高いとか。後に知ったが、わたしの病状を毎日息子に電話してくださったそうだ。お忙しいのにそのお気持ちは有難い。


息子といえば、病院が面会禁止だったこともあり、新年早々予定通り東京に帰ってしまった。帰る前に私の荷物を病院に届けてくれたのだが、開いて見ると5年間毎日描いても大丈夫なほどの絵の道具が詰まっていた。色々なスケッチ用紙、かなりの量の水彩道具一式、60色のクレパス等。快復を応援されているようで嬉しかった。

入院生活

運よくわたしが入れたのは、特別室だ。シャワー、トイレ付の20畳くらいの部屋。ベッドの他にクローゼット、チェスト、ソファー、テーブルが備わっている。数年前に東大病院の個室に入院した時の部屋と同じようだったが、今回も快適だった。



体調が快復していくにつれ、何と言っても楽しみは食事だ。
わたしは、しょっぱい物が苦手。ところが、病院食はまさにちょうどよい塩味なのだ。そしておいしい。普段はあまり食べない魚料理が多く、時にはデザートまでついている。
以前、サンローランがカロリーを考慮した食事を出すシェフを雇った聞き、うらやましかったが、まさにサンローランの食事。この食事を続けたらすっきり痩せられそう。食事についてくるメニューカードは、大切にとってある。



それに、病院で働いている人たちが、みんなとっても親切。看護師さんも、療法士さんも、薬剤師さん、お掃除の人、事務の皆さま、仕事はプロ、そして優しい。まさに五つ星ホテルのおもてなし。
だから、面会禁止で誰とも会えなくても、まったく寂しいとは思わなかった。


必要なものは、アマゾンで注文する。石鹸やシャンプーも好きなものを取り寄せることができた。
部屋に冷凍庫があるので、アイスノンをふたつ買って、交代に使うようにした。看護師さんに替えるよういちいち頼みたくなかったのだ。病院内生花禁止なので、造花のブーケを注文。花瓶がないと言うと、看護師のタローさんが早速、紙工作で素敵な花瓶を作ってくださった。



必需品のマイ・アイスノンを購入。冷凍庫に入れて交代で使った。


Amazonで購入したラナンキュラスの造花に、看護師のタローさんが
クラフトですが花瓶を作製してくださった。ぴったり!


花瓶が嬉しくて、スケッチを楽しんだ。


朝シャワーを浴びると、配給された新しいパジャマを着て一日を過ごす。
家にいた時みたいに、天気予報をチェックして、その日の予定を確認して、着る物やアクセサリーを選ぶ必要がない。
窓の外の世界は零下1度でも、ここは25度。半袖パジャマ。これってサイコー!


食べたいものや飲みたいものの欲望が消えてしまったのも不思議だった。
毎朝飲まずにはいられなかったコーヒーも飲みたくない。あんなに好きだったアイスクリームも食べたくない。


だが、文化的な欲求はあったので、タブレットがふたつあったのは正解だった。
ひとつには、Amazon Japan のKindleが入っていて、もう一つにはAmazon. comのKindle、及びAudible が入れてある。数年前にJane Austen の全作品を英語で朗読したAudible をダウンロードしてあったのだが、80時間もあるので、そのままだった。
暇に任せて、以前本で読んだのも含めて、それを全部制覇したほか、BBCのフルキャストでのドラマタイズされたのも聞いてしまった。Jane Austen の頃は女性の権利が守られていない時代なのだが、そこをしたたかに生きていく女性の姿に共感。以前読んだ時には感じなかった面白さを見出した。



入院生活をみのり多い物にしてくれたタブレット二つ


80時間分のJane Austen 全作品の朗読

友人とのメール

ICUに入ってすぐには、外国の友人達に状況をメールした。
メールには、万一私が死んでしまっても悔いが残らないように、短いながらも感謝の言葉を書いた。真摯な思いで文を書いたが、面白かったのは返信だ。
フランスのマルテは、神の元で会いましょう、と私が死んでしまうものとして返事をくれた。NZのアンからは、孫のゲンちゃんの大きくなるところを見たいでしょう、まだまだ生きていなくちゃ、と叱咤激励のメール。カリブ海でバカンスを楽しんでいるイタリアのキアラは、良くなるものだと最初から固く信じている。ひとそれぞれに真剣に考えて返信してくれるのが嬉しかった。


日本人の友だちとのlineやメールも楽しかった。
国文学者の恵さんは、思いつくまま次々と俳句をくださる。


上げ膳据え膳病室のお正月は殿気分 (恵)


わたしの気分を代弁した句だ。病院食も俳句のお題になった。
朝食の「京風五目豆腐あんかけ」でわたしが作った一句。



朝食の京風五目豆腐あんかけ


あんかけにふんわり映る春の雲 (Mimi)


退院が決まった時に恵さんが詠んだ句。


退院が決まりゆっくり蜜柑むく (恵)


まるで彼女は、どこかから監視カメラで病室の私を見ているみたいだった。
彼女は、期末試験の監督中に「試験中俳句をひねる後期末」なんていうのも作って送って来た。


高校の先輩のジンボさんとのメールも楽しかった。
私は、最後のMRIの装置に入った時、レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムが、私の耳元でドラムを叩いてくれているんだと想像した。
ドンドンドン、トットットットッ、耳元で鳴り響く奇怪な音も、ボーナムが叩いてくれる現代音楽だと思えば楽しい。30分なんてあっという間に経ってしまった。その時に私が作った一句。


ボーナムの春の祭典MRI  (Mimi)


それに対して、ピアノを弾くジンボさんからの一句。


ファジル・サイの春の祭典ひとり弾く (ジンボ)


ファジル・サイがピアノの多重録音で弾いた曲を、ジンボさんが一人で弾いているという句らしい。春の祭典の賑やかな雰囲気と、一人ピアノに向かう孤独感が重なり、雰囲気がある。

想像力よありがとう

病院は、JRの駅のそばで、電車のがたごと走る音や、駅に到着したり発車する音が聞こえて来た。
特急は止まらずに、電車の音は遠くに消えていく。



窓の外に駅が見える


そんな時に思い出したのが、英文学者で詩人の福田陸太郎氏の「茗荷谷海岸」という詩だ。
地下鉄丸の内線が唯一地上を走る東京都文京区の茗荷谷駅は、海から遠く離れていて、海岸などどこにもない。ところが、その駅の近くに住む福田氏は、丸の内線のがたごと走る音を潮騒だと想像するのだ。書斎にいながらにして、彼は海岸を想起する。


私も、病室にいて電車の音がするたび、海岸を想起しようとするのだが、どうも出来ない。私の想像力には限りがあるようだ。
だが、詩を書いた福田氏の心情を思い描いたものだ。これが潮騒に聞こえるなんて、すごいなあ、詩人って。


こんな風にして、限られた想像力ながらも、多くの方々の優しさとケアのお蔭で幸せな入院生活を送ることが出来た。
そして、ついに、五つ星ホテルから退院する日がやってくる。
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