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魅惑の藤棚───蜂のウォッシュの中で

Mimi 2023.06.01

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江南の藤入口、と書かれた看板を抜けると、もうそこは藤棚だった。




無数の藤の花穂が、微風に揺れている。
一斉に揺れるようでいて、花穂の長さに応じて微妙に揺れ方が異なる。
藤棚の下に入ると、あたり一面花天井。
あまーい高貴な香りがあたりに充ちる。
ブーウウウウン 冷蔵庫のモーター音のように聞こえるのは蜜蜂の羽音。





藤の花の香りを、肺一杯に吸い込んで、蜜蜂のモーター音に耳を傾ける。通奏低音のように間断ない響きを時折破るのは、鶯の鳴き声。

賑やかな静寂。

平和な世界。




水彩画の技法に、wash というのがある。白い画用紙全体に、最初に好みの色を薄く塗ってしまうのだ。私の好みの色は薄青。空の色を画面全体に塗っておいてから、その上に色を重ねて、樹でも花でも描いて行く。すると、白い画用紙に描くのと違って、全体に統一感が出て来る。まるで、画面の中の物がみんな同じ空気を吸っているかのよう。



藤棚が地面に作る陰の模様も面白い


藤の根は地面を鷲掴みするように伸びている


ふと、そのwash 技法を思い出した。蜜蜂の羽音が、青い空や紫の藤の花や、庭の緑、そして地面に写る藤棚の陰に沁み込んでいる。ごつごつした幹の藤の老樹。その根は地面を鷲掴みするように縦横に広がる。それらもみんな蜜蜂のwash で染められ、統一感を醸し出している。古い藤の幹と新しく咲いた藤の花。空間だけでなく時代を超えてのwash掛け。

ここにいつまでもいたい、と思った。一人ぼっちで夜までいても、いっそ明日の朝までいてもいい。蜜蜂が巣に戻り、あたりが静まった後、風の音と月の光がwash になって、夜のしじまの藤棚を染めるだろう。そんなところに身をおいてみたいと思った。藤の花の香りが降り落ちるのが見えるかもしれない。

勿論そんなことは無理。待っている人たちのところに戻らねば。大分待たせてしまったようだ。
One last glance.
私は藤棚の出口で別れ際の最後の一瞥をすると、車に戻った。

こんな体験をさせてくださったのは、歴史地理学者のT先生と奥様。去年に引き続いて、深谷のお花めぐりに誘ってくださったのだ。友人の弘子さんも一緒。

多分、藤棚の魅力にどっぷり嵌ってしまったのは、最初に連れて行ってくださった東松山のぼたん苑との対比からだと思う。ぼたんの花は一輪一輪が大きく豪華で、どの花も、「私を見て!きれいでしょう?」と自己主張している感じがする。だから、こちらも、一輪ずつの記念写真をつい撮ってしまう。









東松山のぼたん苑にて



楚々と咲く藤の花


ところが、藤はどうだ。花は小さいし、そこいらに一輪だけ落ちていたとしても気づかないかもしれない。ところが、同じ色の花が穂になり、それこそ何千も何万も集まると、思いがけない情景を作り出すのだ。そしてその均一性が微風に群舞する集団の美を醸し出す。

美は一様ではない。だけれど、自己主張するぼたんの花たちの中で一夜を過ごしたくはないが、あの、藤棚の下で過ごしたら、どんなに心地よいか、と思う。

今でも、藤棚を思い出す度に、蜜蜂のモーター音が蘇り、私自身がwash掛けされているような、癒された気分になるのだ。
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