Spareって誰?
Mimi 2023.02.17
ハリー王子のSpareが出版された。王室の内情を暴露する話らしいが、元から英国王室に興味がない私は、この本を読む気はさらさらなかった。
オーディブルの新刊コーナーに、ハリー王子の写真とともに、Spare が紹介された時も、ああ、オーディブルでも同時発売なんだ、と思っただけだった。 ただ、ちょっとした偶然で、そのサンプル音声ボタンに触れてしまった時から、事態が変わった。
流れて来たのは、どこかで聞いたような───そう、ちょっとモシャモシャした話し方。日本人で言えば、十朱幸代という女優さんのようなモシャモシャ。 十朱さんの場合は、サ行の発音に特徴があるが、英語版のモシャモシャはどこと特定しがたい。思わず、ナレーターの名前を見る。なんとハリー王子その人が読んでいるのだった。
そこで、思い出した。これってダイアナさんの話し方だ。ダイアナさんが生前行ったインタビューで聞いたことがあるモシャモシャ。勿論声は違うけれど。
モシャモシャでも聴き取りやすく、ハリー王子は読むのがうまい。ナレーターを職業としても十分やって行けそうだ。 更に驚いたのはその文章力だ。関係代名詞など殆ど使わない短文がダイレクトに伝わって来る。それに文章構成がうまく、惹きつけられる。
私は、サンプルを聞いただけで、すっかり虜になってしまい、本を即座にダウンロードした。
オーディブルの画面
典型的な春の天気。冬でもないが、春たけなわでもない。木々はまだ芽吹いていないが、空気は柔らかい。 空は灰色だが、チューリップの球根からはつんつんと芽が出ている。陽射しは薄暗いのに、庭に見え隠れする紺碧の湖は、輝きに満ちている。
どうしてそんなに前のことを覚えていてこんなに生き生きと描写出来るのだろう!私は、ハリー王子の観察眼と文才に大いに感服した。
私の日課は、朝5時に起き、7時まで2時間ベッドの中でオーディブルを聴くことから始まる。 ハリー王子の本は、オーディブルで聴くと約15時間40分。毎朝2時間ずつ聴くのはまだるっこしいので、ある日徹夜して一気に聴き、朝までに読了した。
さて、ハリーは、来ぬ人を待ちながら母を思い出す。 紺碧の湖を横切って自分の方に泳いでくる白鳥のような母、芽吹いていない木々の間で歌鳥のように笑い声を響かす母をはっきりイメージするのだ。 亡くなった時には幼かったので、母の思い出があまりないのにも関わらず。その母は映画を、音楽を、服を、甘い物を愛したが、何より「取りつかれたように」自分たち兄弟を愛してくれた。
さて、庭でハリーが待っていたのは、父と兄、つまりチャールズとウィリアムだった。遅れて来た彼らとの間に、次のような会話がなされる。
「お前は王室を出たな。ハロルド。」
「そうです。どうしてかわかるでしょう?」
「わからないね。」
「わからないんですって?」
「正直言ってわからないね。」
ハリーは、ここで答えを書かない。この本は、なぜ彼が王室を出たかという理由についてミステリー小説のように解き明かしていく本なのだ。
本全体を通して、彼がどれほど母を慕い続けているかが、胸を打つタッチで描かれる。 母がパパラッチに追われた挙句、交通事故で瀕死の状態であった時、最期に見た情景がカメラのフラッシュであったことを想像して悲しんだり、 母の死後にブルーの箱に入った母の巻き毛を貰ったこと。それをいつもベッドサイドに置いている事。 だが、町に出ると、つい母の面影を探して、巻き毛を切り取られていない母と遭遇するのではないか、と思ってしまうことなど。
また、自分や妻のメーガンが、いかにメディアに誤解されているかを、弁明して、真相を明らかにすることもこの本の目指すところである。 それも、読者に納得のいくように書かれている。王室内の陰謀や意地悪な女官や参謀に翻弄される若いカップルのイメージだ。
私は、ハリー王子の文筆家としての才能にすっかり惚れ込んでしまったので、早速ニュージーランドのアンにメールをした。 新しい才能を見出したと。彼女と私は、お互い読んだ本の感想を言い合う仲だ。彼女の勧める本は、大抵読むし、彼女もまた然り。
ところが、彼女から返ってきたのはそっけないメールだった。
アンは言う。
読む気はないわ。いろいろ抜粋を読んだし。大体、家族間の葛藤など赤裸々に書くべきじゃないわ。家庭内にとどめておくべきよ。
確かに赤裸々過ぎる場面はあるけれど、それでも、と反論しようとして、次の彼女の文が目に入った。
この本はハリー王子が書いたんじゃないって知っている?J.R. Moehringerというピューリッツァー作家がゴーストライターよ。
ガラガラガラッ───。すごい勢いで私の中のハリー王子に対する尊敬と共感が崩れ落ちた瞬間だった。そんなぁ!母を慕う気持ちは、ゴーストライターによる作戦だったの?
調べてみたら、このモーリンガーという作家が貰ったゴーストライター料は100万ドル。つまり、約1億3千万円。 それだけの稿料を貰う価値のある才能の持ち主が書いた本なら、確かに感銘を受けるはずだ。勿論、ハリーでしか知り得ない真実を書いたのだろうけれど。
Spareというタイトルがつけられているが、ハリー王子はスペアとして生まれても、もはやスペアではない。 今では、兄のウィリアムのスペアは、その長男。そして、次の女の子がスペアのスペア。また次男がスペアのスペアのスペア。ハリー王子はそのスペアだ。
良いように騙されて読んでしまったが、後悔はしていない。ハリー王子のナレーションは素晴らしかったし、何より、読んでみたい新しい作家が見つかったから。 その名J.R.モーリンガー。