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広島のサミット前の準備

M. Christophe 2023.02.14

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広島では、2023年G7サミットが開催されます。広島では丁寧な対応をされていました。

JR広島駅に直結するホテルグランヴィア広島は、各国の方々をお迎えするホテルでございます。 ホテルマンたちが一丸となり、昨年から2023年を迎え、日々着実に努力されています。 国や県や市町村との連携、警察との訓練をはじめ、頭がさがる警備の努力を重ねてこられています。 理由はG7サミット開催地が広島だからです。JR広島駅は、世界からのお客様を迎える、お玄関になります。

ホテルグランヴィア広島はJR西日本ホテルグループの最高峰のホテルです。 島田正義社長さまによる優れた編成チームが、サミットを迎えるにあたり、これまで以上に丁寧に対応をされていました。



ホテルの若きパティシエさまたちは、熟練された総料理長、塩貝龍太さまのご指導のもと、 フランス料理とフランス菓子を数年かけて、ゼロからの発想とともに知識を使い、広島県内の品をきちんと使って日本を代表するような極上のおもてなし料理やお菓子を作りあげています。 世界から来られる方の旅の疲れを回復し、なにより日本を知っていただく、そしてようこそ広島への気持ちを大切にお迎えされます。

世界の方々を迎えるために、ホテルグランヴィアの広島で生まれた料理やスイーツを、日々研鑽を重ねて作り上げていらっしゃいました。 グランヴィアの品格を感じるJR西日本ホテルグループの長年の積み重ねが結実していました。 お料理やお菓子で世界からの方々を優しい気持ちでお迎えしていかれることでしょう。



この美しさ。絶対的逸品の広島産アワビリゾット料理に仕上がっていました。



ホテルグランヴィア広島では、新人スタッフにかわいいロボットを採用されていました。グランビアのベルちゃんです。 ベルちゃんにお会いしてきました。世界から来られるお客様皆さんが写真を撮っていました。 最新版のおもてなしロボットがホテルのメンバーに参加していることは、海外からのお客様がさまざまな方向から広島を楽しんでいただけるよう、 日々積み重ねている努力のひとつとなっています。 スタッフの方々曰く「ロボットのベルちゃんはあまりにも可愛くて!毎日ご宿泊のお客様たちから大人気です」と、日本らしいホテルレストランロボットの登場となりました。 ベルちゃんは、配膳対応をホテルマンと一緒にしてくださいます。 JR西日本ホテルグループの上質なホテルがグランヴィアグループです。
https://www.hotels.westjr.co.jp/outline/



広島といえば、宮島。無事に3年に渡る改修工事が完成しました。



宮島の改修工事完了後に行ってきました。 2023年2月に私が見てきた宮島です。海から写真を撮りました。 世界遺産の厳島神社(広島県廿日市市)のシンボルで、約70年ぶりの大規模修復となる大鳥居の工事が2022年12月に完了しました。 工事の足場や保護シートが2022年12月に撤去され、朱色の勇壮な姿が約3年ぶりに見られるようにりました。

厳島(いつくしま)は、日本の広島県廿日市市宮島町にある島です。 瀬戸内海西部、広島湾の北西部に位置する。通称は安芸の宮島(あきのみやじま)、または宮島といわれています。 宮島の歴史的背景に関しては以下を参考にしてください。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6>




満潮で海に浮かぶ、宮島を見ました。 上部にある笠木には玉石が7t分重しとして詰められているそうです。大鳥居の足元がセメントのようなもので接着固定されているのではなく、自身の重みだけで立っています。 それで台風などの強風に耐えられるのです。素晴らしい日本の古来からの神社建築です。 大鳥居に初めて色が塗られたのは、1909年(明治42年)だといわれています。

大鳥居に初めて色が塗られたのは、1909年(明治42年)だといわれています。113年前と今との塗料の違いについて調べてみました。 「明治42年の塗料の接着剤はニカワが使われ、顔料は、鉛丹という酸化鉛が使われた」そうです。 今回は接着剤にアクリル樹脂を使い、強度をさらに高めたそうです。 色を出す成分には有毒性のある鉛ではなく、無害で耐久性に優れた有機質の顔料を使われています。 近代化によって、SDGSをきちんと考慮して、品質が高くそして地球環境に優しい塗料へと変わっているということです。

工事をされた島津漆彩色工房、島津亮介取締役の言葉です。 「この塗装では長年の海上の風食で、木目の凹凸がかなり激しいので、そこにしっかり塗料が入り込むよう注意している」 朱塗りの作業は、それぞれ3回ずつ塗っており、高さ16メートルの鳥居の上の部分から進めていきました。 70年目の改修工事は本当に努力をされたようです。



海側からみた大鳥居。圧倒される朱塗りです。 「大鳥居は、神社の入り口の意味があるし、神様が通られるところなので、神社に来たことを知らせて、参拝していただき、宮島全体も観光してほしい」この気持ちで、改装工事をされたようです。

大鳥居は本当に素晴らしく思わず手をあわせました。海に鳥居があるのは大変珍しいです。もともと厳島は神の島で神の地に鳥居を建てることは憚られたからなのだと。 宮島の歴史を感じました。



扁額の文字は沖側と本殿側とでは違い、沖側は「厳嶋神社」、本殿側は「伊都岐島神社」と書かれていました。 『厳嶋神社』の方があとで、清盛以降につけられた名称で、『伊都岐島神社』とはそれ以前の名称であり、”神を斎(いつ)きまつる島”という意味なのだそうです。 清浄な場所としてあがめられていたのだといわれてきました。

現在のこの大鳥居は、平清盛の援助で平安時代に建てられたものから数えて9代目となります。 1875年(明治8年)に再建されたものです。 海水や雨風で傷んだ柱の修理や屋根のひわだぶきの張り替えなどを終え、最後の仕上げとなる塗装作業・朱塗りを2022年12月末に終え、その姿を現しました。

海に浮かぶ能楽堂です。



現在の常設の能舞台は、1680年に寄進されたもの。国の重要文化財に指定されていました。 海の上にあるため、通常は床下に置かれる共鳴用の甕 (かめ) がなく、足拍子の響きをよくするため舞台の床が一枚の板のようになっているのが特徴なのだそう。 十分に音が響くので、現代でもマイクは使わないそうです。



厳島の能の起こりは大内義隆が天文20年(1551)長門の国、大寧寺に滅び、弘治元年(1555)厳島合戦で陶軍に勝利した毛利元就によって、永禄6年(1563)を始めとし度々奉納されていました。 永禄11年(1568)には観世大夫が下向した際、「前略、江の中に舞台を張らせて九番の演能があり、その後、棚守房顕の屋敷で舞台を張らせ十一番を演じた」と『房顕記』に記されているようです。 関ヶ原の合戦の後毛利氏にかわって福島氏が芸備の藩主となり、その後、元和5年(1619)紀州より浅野氏の支配下になった頃から厳島は藩直属の宮島奉行、宮島元締役、宮島帳元が置かれ、 また、交通機関の発達と共に、神社を中心とした観光地の性格を帯びるようになりました。 そして春・夏・秋三期の市も立ち、賑やかさを増していきました。福島氏、浅野氏共に演能は盛んに行われていたそうです。 明治時代になって新暦となり、春の大宮祭を「桃花祭」とし、従来の3月15日を1ヶ月遅れの4月15日にして16日から3日間を桃花祭御神能とされています。 御神能は、初日と2日目に初めに翁が舞われ、3日間とも正式な五番立で、間に狂言が入り、江戸時代からの本式な演能を鑑賞することができるそうです。
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