Blog
Blog

ラッキー・ヘッド

Mimi 2023.01.05

Pocket

同窓会で近況を語る番が回って来た時、自作のテラコッタの首の写真を披露する。大きく引き伸ばしたそれを見せながら言う。

「粘土でこんなものを作っています。若く、美人に作りますから首のご用命は是非私に!」

皆が一斉に笑う。私は、首の依頼を期待しているわけではない。こんな役にも立たない首を作って楽しんでいます、と笑いを取るためである。同窓生が語る、老親の介護、思い通りにならない子供、家族の病気、そういう深刻な話が続いたりすると、途中で気楽な息抜きが必要だから。

世の中に自分の首像が欲しい人なんて、まずいない。だから、気楽に「首のご用命を」と宣伝出来るのだが、実は万一依頼が来たら困る。何しろ、私は自分が作りたい首しか制作しない。

私の制作場所は、陶芸の工房で、私以外の人たちは皿や茶碗などを制作している。そういう人たちは、ちらっと私の首を見ては、大真面目で言う。

「漬物石に使えるかもね。」
「自分の家にそんなのがずらっと並んでいて、怖くないですか?」
「出来たものは、モデルの人にあげるんでしょう?」

皆さん、実用的でない物に、価値を見いだせないのだ。私と彼らは、同じ粘土を捏ねていても、永遠にわかりあえない間柄。

「漬物石には軽すぎるんです。中をくり貫きますから。」「ずらっと並んでいるのにも慣れてしまいました。家族みたいなものです。」「差し上げたくても、反ってご迷惑だと思いますし・・・。」

こちらも大真面目に答える。こういった会話が幾度となく繰り返されたあげく、この頃は茶碗組の人たちも言うことが無くなってしまったのか、放っておいてくれる。有難い。

テラコッタを作り出したのは、藝大の夏期テラコッタ講座に参加したのがきっかけだ。初めて参加した時の、教授のレクチャーが耳に残る。

「テラコッタというのは焼き物だから、千年経っても残るんです。皆さんが気に入らないからと言って、割って土に埋めても、千年後の人が掘り出して、破片を繋ぎ合わせるかもしれません。だから、ちゃんとしたものを作ってください。」

ガーンである。ちょっと興味を持って、気楽に参加した講座。千年後の人が私の割れたテラコッタを繋ぎ合わせる確率なんて、殆どゼロだと思うが、完全にゼロだと否定できないのが恐ろしい。


暖炉の上には、藝大講座で作った第一号の作品


だから、私は、ぞっこん惚れ込んだモデルだけを使って、粘土の塊と向き合う。モデルが醸し出す雰囲気を形にしようと、撫でたり、削ったり、押し込んだり、足したりする。「出来上がり」は自分で決める。

もし、彫塑でなくて、彫刻の講座を取っていたら・・・。例え1トンの石を彫り始めたとしても、ああ、鼻をもっと削らなくちゃ、そうすると頬も削らなくちゃ、ああ、それに合わせて顎も、耳も、なんて順繰りに削って行くうちに、最終的には米粒程度の大きさになり、それでも完成しないだろう。彫塑の場合は、粘土を足せるし、いかようにも作り変えられる。

ところで最近、ある事実に気づいた。なんと、私が首を作った人は皆幸せになるのだ。

例えば、クロアチアのアイさん、私が知り合った時には独身の24歳。ボーイフレンドは何年も仕事にあぶれていた。彼と結婚したくても無理な話。ところが、首が出来た直後、彼は就職。ついに最愛の彼と結婚でき、今では二人のかわいい男の子のママだ。大きな家に住み、車2台。

アメリカ人のドリスにしたって、夫の仕事で日本に来たものの、近所の人々とコミュニケーションが取れず、一人ぼっちで落ち込んでいた。ところが、首が出来ると、その後は順風満帆。米国に戻った最近の家族写真には、今年生まれた三人目の子供を抱き幸せいっぱいの彼女の姿。


一番左がアイさん、左から四番目がドリス


こんなことをずらずら書くと、「この壺を買えば運が向きますよ」と押し売りする某宗教団体みたいなのでやめておく。だが、首のモデルが幸せになったのは、紛れもない事実だ。私が粘土を押す一手一手に、愛を込めているのが天に通じたの?まさかね。とにかく、私にはある種のハンドパワーがあるようなのだ。

それに気づいた私は、数日前アンドレアの首を完成させた。アンドレアはイタリア人。裕福な家に生まれ、心の優しいアンドレア。数年前には息子の結婚式にも来てくれ、とんぼ返りでイタリアに帰国。ハネムーンでイタリアに行く息子たちを迎え入れるために。
でも、どういうわけか、恋愛が成就しない。どれだけ、彼の悲恋物語を聞かされたことか。


アンドレアの首



本を参考に筋肉をつける


アンドレアよ。もう大丈夫。私があなたの頭を作ったから。あなたはホントに幸せになる。何しろ私の作るのは、ラッキー・ヘッドなんだから。
Pocket