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ぶれない人生は、趣味の悪い男のお蔭?───篠田桃紅展に行って

Mimi 2022.08.05

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朝5時半、私の起きる時間だ。外が明るくなると自然に目が覚める。バスケットを腕にかけて、私は薔薇を栽培するベランダに出る。



とにかく、目の敵のようにして、数ミリの緑の薔薇の蕾を摘み取るのだ。夏の間、花を咲かせてしまうと株が弱る。きれいな秋の花を楽しむためには、蕾がついた途端摘み取らねばならない。





そんなある日、菊池寛実記念 智美術館に篠田桃紅展を見に行った。陶芸家のヒロ子さんと一緒だ。連日コロナの患者が何万人も出ている時に、不要不急の美術館行きなど正気の沙汰ではないかもしれないけれど、ヒロ子さんと約束した一か月前にはそんなに陽性者はいなかったし、切符も既に入手済みなのだ。帰りにホテルオークラでレモンパイを買って、ポールでランチして、という予定も魅力的だ。


篠田桃紅展のチラシ


ヒロ子さんとは、数年前に、関市の篠田桃紅の美術館に行ったことがある。墨の濃淡だけで、こんなに多くの表現が出来るのか、と感嘆した。今回の展覧会で、再び桃紅のシンプルで洗練された墨書の世界を見られるのが楽しみだった。

智美術館の玄関を入ると、大きな桃紅の書がまず目に入る。これは常設展示だ。


智美術館 エントランスの書



エントランスの中から見る炎天下の風景


これまで気づかなかったが、地下の美術館に降りて行く螺旋階段の壁面も篠田桃紅の作品なのだそうだ。以前から智氏が持っていた桃紅の作品を、美術館建設時に銀の壁面に入れ込んだ。あまりに巧みに空間とマッチしているので、つい見逃してしまっていた。


螺旋階段の壁には、篠田桃紅の書が


さて、桃紅の作品展は、どれも「あっ、篠田桃紅ね」とわかる作品ばかり。洗練されていて、凛とした存在感がある。

ところが、気づいたことがある。作品を見ただけでは、書かれた年代順に並べることは不可能だと言うことだ。ミロだって最初のうちは具象画を描いていたし、ピカソにしたって、青の時代、薔薇色の時代を経て、キュビズムに移っていく。

桃紅の場合、そういう変遷がない。専門家が見れば違いがわかるのかもしれないが、私には分からない。同じような作品を書いているわけではなく、それぞれに工夫があり、作品は異なるのだが、若いころの作品なのか、100歳を過ぎた頃の作品なのか区別がつかない。ぶれない信念に裏打ちされている作品が並んでいるのだ。

ふと思い出したことがある。私が子供の頃に桃紅が朝日新聞に連載していたエッセイだ。書いてあった内容は全部忘れた。ただ、一点のことを除いて。

桃紅は自分が結婚しなかったのは、自らの選択ではなく、良い相手が見つからなかったからだと書いていたのだ。お見合いも何度かしたらしい。ただ、心に響く人がいなかった。嫌だと思う理由はいろいろだ。お見合いの席に紺の背広に茶のネクタイで来た男性がいて、桃紅はそんな色合わせの服で来る人は嫌だと思い、断ったそうだ。

もし、その男性が紺の背広にグレーのネクタイでお見合いに臨んでいたらどうだったろうと思う。

桃紅はその人と結婚したかもしれない。次次に子供が生まれて、その成長に関わっていたら。赤ちゃんのいる時代、幼稚園の子のいる時代、小学校の子のいる時代、などを経てゆき、成人した子のいる時代、孫のいる時代、ひ孫のいる時代へと私生活が変化していったら?家族がいてこそ起こるいろいろな悲しみ、喜びごとを経験したら?そうしたら、こんなにぶれない作品が生まれただろうか。

薔薇が摘蕾によって株が充実するように、桃紅も、結婚して家族という花や実を付けないことで、自分自身と向き合い、精神生活を深く掘り下げられたのではないだろうか。

さて、連日の猛暑。そして外に出ればコロナ感染の危険。以前関市の篠田桃紅の美術館で買って来たジグソーパズルを出してきた。これでもやって、おうち時間を楽しもうか。これが出来るのも、お見合いに趣味の悪い色合わせで現れた男性のお蔭と感謝しながら。


ジグソーパズル


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