Blog
Blog

My Salinger Year(1996)→私のサリンジャー年(2022)

Mimi 2022.07.12

Pocket

友人の真由子さんからeメール。映画館でMy Salinger Year(邦題:「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」)を見て、なかなか良いと紹介してくれたのだ。真由子さんのメールにある、

文芸版「プラダを着た悪魔」、クラシカルなファッション、クラシカルな音楽、「ティファニーで朝食を」の雰囲気

にも食指をそそられるし、何より「サリンジャー」という作家の名前に自分の高校生時代を思い出して、興味を抱いた。

「ライ麦畑でつかまえて」「ナイン・ストーリーズ」「フラニーとゾーイー」「大工よ、屋根の梁を高くあげよ」「バナナ・フィッシュ」本の題名が次々浮かんでくる。

映画の元になった同名の本の作者、ジョアンナ・ラコフ(Joanna Rakoff)自身が朗読しているオーディブルを、ひとまず訊くことにした。ラコフの実の経験談だ。


Audibleより

ロンドンの大学で修士号を取ったラコフは、出版エージェント(literary agent)とは何かも知らずに、勤め始める。出版エージェントとは、著者の代理人として出版社に企画を持ち込んだり、著作物の権利管理をする会社だそうだ。ラコフの会社はアガサ・クリスティやスコット・フィツジェラルドも扱っているニューヨークで一番古い老舗だ。時は1996年の初めのこと。

1996年と言えば、コンピューターが普及し、ペーパーレスという言葉も現実味を帯びていた時代、それなのに、ラコフの勤めたオフィスには、コンピューターが無く、ゼロックスだけが文明の利器だ。オフィスの室内はシェードのかかった照明が薄暗く照らす中、木製の本棚が立ち並ぶ、個人の図書室とか、バーとかいう雰囲気のところだ。


オフィス-Mimiのイメージ

そこで彼女に与えられた任務は、J.D.サリンジャー宛に来る手紙に、返事を書くことだった。それもタイプライターで。最近ゼロックスが導入されるまでは、カーボン紙を2枚の紙に挟んで保管用の写しを取っていたという前時代的なオフィスだ。

毎日来る沢山のファンレターや講演依頼。だが、返事の文面は決まっていた。

サリンジャーは、彼の読者からの手紙を受け取ることを望みません。故に、私どもは、貴殿の手紙を彼に届けることが出来ません。貴殿のサリンジャーの本に対するご興味に感謝いたします。

1963年にサリンジャーが彼に来る手紙に返事を書くのをやめてから、同じ文面が30年以上も使われてきたのだ。どうせ同じ文面の無味乾燥な返事しか出さないのだったら、手紙を読まずに返事を出しても良さそうだが、受領したすべての手紙は、廃棄される前に読まなければならないルール。ジョン・レノンを狙撃した犯人は、サリンジャーの信奉者で、レノンを撃った後に、外の階段に坐り「ライ麦畑」を読んでいた。精神異常者の犯行に目を光らせる必要がある。

ラコフは来る日も来る日も、決してサリンジャーに届くことのない手紙を読み、タイプライターで同じ返事を打ち続ける。

これって、何か昔読んだ話に似ている、と思った瞬間Bartlebyを思い出した。バートルビーは、ハーマン・メルヴィルのBartleby, The Scrivener(1853) に出て来る若い男性だ。精神の均衡を崩し、最後には拘置所で死んでしまう男の話。本の最後に、バートルビーがそうなった原因が、郵便局のDead Letter Office (受取人不明の郵便物を扱う部署)で働いていたせいだと示唆される。彼は、手紙が焼却される前に、手がかりを求めて中をチェックするのだ。すると、誰かの指にはまるはずだった指輪や、誰かの人生を変えるはずだった小切手が出てきたりする。


Audibleより

Dead Letter「死んだ手紙」を扱う部署とは良く言ったものだ。宛先人についに届くことはなかった手紙を朝から晩まで扱うのは、精神的に辛いことだろう。

ラコフはまさに、バートルビーの仕事をしていた。だが、少なくとも、手紙の書き手の住所がわかっていたことが、ラコフにとって救いだった。彼女は、ついに自分の言葉で返事を書き始める。成績が悪く単位を落としそうな女子高生。その子の手紙には、サリンジャーから返事が来たら、教師がAをあげると言ったと書いてある。切羽詰まっている状況を強調するその子に対し、ラコフは、「策略で手に入れたAは、何の意味もなしません。・・・もしあなたがA、または合格点が欲しいなら、自分に課せられた勉強をしなければなりません」と凛とした返事を書く。

結局、ラコフの誠意がその子に伝わることはなかったが、少なくとも、バートルビーの二の舞になることは回避できた。

確かに、ライター志望の若い女性が、癖のある上司に翻弄されながらも、必死に無理難題に取り組む姿は、文芸版「プラダを着た悪魔」と言ってよい。そして自分の夢を叶えるために、短期間で仕事を辞めるところも。野望のある女性にエールを贈りたくなる本である。

実は、わたしはMy Salinger Yearに嵌ってしまい、ラコフの魅力的な朗読を3回くらい聞き、ブルーレイも買ってしまった。映画では、真由子さんの言う「クラシカルなファッション、クラシカルな音楽、『ティファニーで朝食を』の雰囲気」も大いに楽しんだ。


ブルーレイ

そして今では、サリンジャーの本を英語で全部読もうと、Catcher in the Rye に取り掛かったところだ。高校生の時と違う視点で読める気がする。まさに、2022は、私にとってのMy Salinger Yearになりそうだ。

Pocket