家族みんなのキミ・ライコネン
Mimi 2022.04.27
Tデパートの展覧会にその作品は展示してあった。高さ1m程の黒い縦長の直方体の台に、細い金属の棒が立っており、そこにテラコッタの「彼」の首はささっていた。
薄暗い室内のスポットライトは、「彼」の「存在」を照らしている。言葉にならない衝撃が心に響いた。「こんなのが作りたい!」と次に思った。無理なのは十分承知しているが。
東京藝大の成人講座で、テラコッタの講習を受けて以来、私は人間の首づくりに励んでいたが、思うような作品は出来ない。だが、この私の目の前の「彼」はどうだ。生きている人間よりもっと人間らしい。内面の心理の襞のようなものが、表情に現れている。一体何がこんな表情にさせるのか。
タイトルは、”Untitled”、作者は田中辰秀氏。
その首は売り物ではなかった。でも、そんなことは気にしない。たまたま会場にいらしていた田中辰秀氏に懇願して、とうとう「彼」をうちに迎えることになった。十年前のことだ。
家の作り付けの棚の上に置きたいので、展示台を作り変えていただいた。そして、それが出来ると、田中氏自らが家に持って来て設置してくださった。
田中辰秀作 ”Untitled”
題名は”Untitled”だが、実はフィンランド出身のF1レーサー キミ・ライコネンをイメージした作品だと、その時に知った。キミの写真を見ずにこの作品を作ったのだそうだ。私には初めて聞く名前。だが、作品として私はぞっこん惚れ込んだ。
田中氏と会話していた時、息子が応接間に入って来た。「F1のレーサーですって。誰だかわかる?」と聞いたら、息子はすぐに「キミ・ライコネン」と言い当てた。息子は更に続けた。「こんなすごい作品は、キミ・ライコネン記念館に置くべきだよ。」
私は、息子がキミ・ライコネンを言い当てたことよりも、これが素晴らしい作品だと認識してくれたのが嬉しかった。息子は、良いと思ったものしか誉めないのを知っているから。
息子はグランツーリスモというテレビゲームが大好きで、F1にも興味があったのだろう。すると、田中氏がそのグランツーリスモの制作にも携わっているとのことでびっくり。つまり、田中氏は、私どころか息子の興味の対象とも繋がっていたのだ。
最近になって、息子が言った。「キミ・ライコネンが引退するんだ。グッズも買えなくなるから、帽子を買ったよ。そうしたらゲンちゃんもパパと同じのが欲しいと言うので、もう一つ買ったんだ。」彼がスマホで見せてくれたのは、外国の通販のサイトだった。そう言った翌日、息子と4歳のゲンちゃんはお揃いの帽子をかぶって現れた。大人用の帽子でも、調節すれば子供でもかぶれるそうだ。
パパとお揃いの、キミ・ライコネンの帽子
そうか、キミ・ライコネンが、引退するのか。キミをイメージした像を持っている身としては、キミがどんな人なのかこの際知っておこう。そう考えてアマゾンで本を一冊注文した。キミと親交のあった記者が書いた本。(ICEMAN―キミ・ライコネンの足跡、ヘイキ・クルタ著 五十嵐淳訳 出版元:三栄)
カラー写真が沢山載った気楽な本だと思っていたのに、届いたのは560ページもある厚い本。おまけに2段組み。表紙以外にカラー写真はない。予想外の本の厚さに辟易した。
2段組みの厚い本
ところが、読みだしてみると面白いのだ。ポール・ポジションとかハット・トリックとか、聞いたことはあるけれど何だか知らなかった言葉をGoogleで調べながら読み進める。
何が一番面白いかというと、うちにある像の、あのミステリアスな表情の秘密がだんだん解き明かされていくことだ。人付き合いが苦手で、感情を表に出さない、「アイスマン」というあだ名のキミ。だが、キミ独自のユーモアのセンスもあり、アイスマンという文字をタトゥーしたりする。
20年にも渡って、F1の世界に身を置き、危険と向き合いながら試合してきたキミ。自分の能力だけでなく、マシンの出来に左右されるレース。それも世界中で次々開催される。
キミの人生に、ユングが提唱した「集合的無意識」の中の英雄の概念を発見した。キリストが牛小屋で生まれたのが良い例だが、貧しく、ちっぽけな存在が、努力の後に世の中に君臨する存在へとなる。キミも、33平米という小さな家で生まれ育ち、切磋琢磨の後にチャンピオンになった。正に人々の深層心理に訴えかける英雄の条件に合致するではないか。
田中辰秀氏は、この集合的無意識をテラコッタ像の表情に具現化したのだろう。だから、あえてキミの名を出さず、”Untitled”([無題])と名付けた。芸術家の人間愛と深層心理への共感、それがキミという一人のレーサーの姿を借りて、テラコッタの像になったのだ。
像の見方は家族それぞれだが、みんな大好きなキミ・ライコネンであることに変わりない。