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1963年のアルマニャック!まさにお薬です

M. Christophe 2021.10.29

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アルマニャック
(L’Armagnac、ガスコーニュ語:Armanhac)は、フランス・ガスコーニュの一部である古い地方名称で、現在のジェール県とランド県東部にまたがっている。その名称はガロ=ローマ時代に遡るものである。歴史的な首都はオーシュである。

アルマニャックは…薬と言えるような芳醇な香りと美味しさがあります。

フランスでつくられるブランデーとしては、シャラント川の南岸でつくられるコニャックも有名です。コニャックとアルマニャックの違いは、生産地以外にも蒸留方法、樽の材質などがあります。アルマニャックは連続式蒸留による1回の蒸留を行う。対して、フランス産ブランデーとして有名なコニャックはシャラント方式とよばれる単式蒸留機での2回蒸留を行うそうです。

また、コニャックの熟成にはホワイトオークを用いるのに対し、アルマニャックではガスコーニュなどでつくられるブラックオークの樽が用いられるところが多いみたいで、こうした違いはそのまま味わいにも現れますが、一般的にアルマニャックのほうが野生味の強いものになります。

食事をしたあとに、このアルマニャックを一杯どうぞ…!

バ・アルマニャックのワインの特徴

ブランデー製造においては、まずユニ・ブランなどの白ぶどうを用いて9%前後のアルコール度数をもつ白ワインがつくられる。このワインを、アルマニャック型連続式蒸留器を用いて蒸留します。こうしてつくられたアルコール度数の高いブランデーをオー・ド・ヴィ(生命の水)といい、樽熟成の後にさまざまな年度のオー・ド・ヴィをブレンドしてブランデーがつくられます。

このようにつくられたバ・アルマニャックは、プラムのような、独特のフルーティな味わいを持つブランデーとかわるのです。ぶどうの文化は奥が深いですね。

(歴史的背景について図書館で調べてみました)

エリンベルム(現在のオーシュ)のアウシル族(Auscii d’Elimberrum)とエルサ(現在のオーズ)のエルサテス族(les Elusates d’Elusa)は、どちらもアクイタニアで暮らす部族だったそうです。この地方はガスコーニュ公領の一部である、フェザンサック伯領となりました。

960年、初代アルマニャック伯にベルナール1世がつき、彼を始祖とするアルマニャック家はジェロー1世、ベルナール2世と続きました。1040年から1052年にはベルナール2世がガスコーニュ公位を継承したため、伯領は1052年まで公領となりました。

彼の孫にあたるジェロー3世は、1140年以降フェザンサック伯領とアルマニャック伯領を統合しました。1163年にこの家系からフェゼンサゲ伯領が生まれたそうです。1245年にアルマニャック伯家男系が断絶しますと、初代フェゼンサゲ伯ロジェの息子であるジェローがアルマニャック伯ジェロー6世にかわりました。

しかし、1285年にジェロー6世が亡くなると2つの伯領は再び分離しました。やがてジェロー6世の孫ジャン1世(1311年 – 1373年)と彼の子孫がアルマニャック伯領にロデーズ伯領、カルラ伯領、ロマニュ伯領、オーヴィラール伯領、コマンジュ伯領、シャロレ伯領を併合しました。

アルマニャック伯領は息子ジャン2世、孫ジャン3世に受け継がれました。ジャン3世の後を継いだのは弟のベルナール7世で、彼は百年戦争中のアルマニャック派とブルゴーニュ派の内戦時にアルマニャック派の首領でした。1473年、フランス王ルイ11世の有名な敵であったジャン5世が亡くなり、1481年、アルマニャック伯領はフランス王領に統合されました。

しかし、シャルル8世は、伯領をジャン5世の弟シャルル1世へ返還したそうです。シャルル1世の後継となったのは、シャルル・ダランソン(マルグリット・ド・ナヴァルの最初の夫)、次いでアンリ・ダルブレ(2度目の夫)でした。アンリ・ダルブレとマルグリットの間に生まれたジャンヌ・ダルブレがアルマニャック伯領を継承し、その後ジャンヌの息子であるアンリ4世がフランス王位についたことで、1589年に王領となりました。 1645年、ルイ14世はアルマニャック伯の称号をアルクール伯アンリ・ド・ロレーヌへ授けました。この家系はフランス革命まで続いたそうです。

フランスのアルマニャックは、歴史背景から考えるとぶどうの大地と共に時代を作ってきたのでしょうね。
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