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日々の生活の中で私が気をつけている考え方

ROSSO 2021.09.17

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近年、私が重点的に意識改革しているのが、これまでの常識を疑い、数ある事象に照らし合わせて常識の在り方を考えることや、私以外の人間の多様性を受け入れる方法を模索することである。



最近、日本でもこれらの点にフォーカスして議論されることが多くなっている。しかし、根本的に感じるのが、人間は自分の常識や当たり前だけが常識であり、他者から異なった意見や常識を伝えられたときに、かなりの確率で拒絶するか、または反論したり激昂したりして他者の意見を受け入れようとしない。したがって、一度ミスした人は同じようなことでまたミスするし、意見を聞いていても偏りが見られることがある。



特に、仕事柄見受けられるのが年齢によるものだ。年齢が高まるにつれて、個体差からくるものなのか、柔軟性を失うからなのかは定かではないが、まったく受け入れようとしないばかりか、偏重した知識や常識で一向に学ぼうとせず、挙げ句の果てにハラスメントの類に転換されているケースが数多く見受けられる。

もちろん、自分なりのアイデンティティをはじめ、価値観や意見、感性があることは良いことだが、それを一方的に受け入れようとしないことは甚だ疑問である。

特に近年、自分の立場からしか物事を見ずに、自分の見識だけで発言することが散見させる。先ほど触れたように、自分が持つ見識を他者に披露することは決して悪いことではない。しかし、これが悪い方向に進まないようにするためには、日々今ある情報をアップデートするだけでなく、より精度を高めるために、他の分野の学習を取り入れたり、机上の空論にならないよう定期的なフィールドワークを怠ったりするべきではないと考える。それらの工程を省き昔とった杵柄で意見する人も少なくなく、そういった人とは一向に意見の擦り合わせができない。



その点で重要なのが、多様性の受け入れ方である。そもそも、人が持つ性質やバックグラウンドが異なることを受け入れ、それを踏まえた上で今後どのように議論することが大切を模索することが本来の在り方である。

しかし、近年ではこれらの点が蔑ろにされているケースも多く、日々悲しくなるばかりである。

人の一生には限りがある。そのため、少しでも「皆がより暮らしやすくなるためにはどうすれば良いか」という共生・協働する道を国民全体で模索してもらいたい。

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