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ブッダは絵描きにはなれないのか

Mimi 2021.09.30

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仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたもう。

『梁塵秘抄』の中に収められているこの歌は、正に私が「仏様」に抱いているイメージである。 衆生救済の為に、仏様は目に見えないけれどそこにいて、念じていると夢の中にぼんやり現れる。

と言っても、私は、無神論者とも断言出来ない程、宗教にはまったく無知というか、興味がないと言うか、いわゆる一般的な日本人なのだ。だけれども、冒頭の歌はイメージが美しいし、平安時代の人たちの祈りの気持ちが伝わって来て、つい口について出て来る。

国立博物館で仏像を見たときに描いた絵には、この歌も一緒に描き込んだくらいだ。


2本の筒に、私の好きなものを描いた。
白黒の筒には、仏の世界。
カラーの筒には、大好きな美味しいもの。
あちらの世界に行った時の自分へのお供え。
左のハープを持っている人形は、現世でハープの練習をサボり続けた私に、これからはゆっくり、十分に練習してね、とハープを手渡してくれる。


だが、この頃佐々木閑氏の本、『宗教の本性』(NHK出版新書)を読んで、仏教とはもともと衆生救済の為に広めるものではなくて、修行によって自己の欲望を捨て去ることを目的としたものだとわかった。ブッダも修行の末にこの世の真理を発見したが、それで自己完結してしまい、初めは仏教を広めたいとは思わなかったのだ。


欲望を捨て去るために、どれだけの修行をしなければならないのだろう。私なりに考えると、苦しい修行をして時間を使うくらいなら、欲望にまみれて生きていた方が良い。

人はそれぞれ何かをやりたいと言う思いがあるが、何で苦しい修行をしてまで、それを消し去らなければならないのか。

さて、この夏休み、私は孫のゲンちゃんと毎日遊んで過ごした。二人で嵌ったのが、お絵かきである。3歳のゲンちゃんはまだちゃんと形を描けないので、私の描く輪郭線にゲンちゃんが塗り絵をするのである。せっかくだから、何か実用的なものに描けないかと考えて、無地のコットンバッグに描くことにした。
ゲンちゃんが、「カバさん」とか「うさぎさん」とかお題を出す。そこで、私がさらっとそれらしい絵の輪郭を描くと、ゲンちゃんの出番。布用のマジック、クレヨン、絵の具を使って大胆に塗る。

時に「おばあちゃんも手伝って。オレンジ色をここに塗って。」などと色と領域を指定されるので、そこを塗り出すと、

「さあ、戦うぞーーー!」とゲンちゃんが宣言。

突然私が塗っているその場所にゲンちゃんの違う色の筆が入ってくる。

「きゃあ、たすけてー!」と私の悲鳴。

きれいなオレンジ一色だった場所が、青と混ざり合ってまだらになる。次に黄色が浸入してくる。ぐちゃぐちゃの世界。音の世界なら、不協和音。そんな風にして、コットンバッグの上は合戦場になる。下の輪郭線なんかどこかに消えてしまう程、はみ出しまくる。

だが、突然ゲンちゃんが「出来た。終わり」を宣言する。ふと見ると、そこにあるのは、耳障りな不協和音ではなく、絶対大人が描けないような、面白い色合いのシンフォニーだ。ゲンちゃんも出来栄えに満足して、「次は何を描こうか」となり、新しいコットンバッグが取り出され、そこに新しい合戦が繰り広げられるのだ。

絵の具を調合するゲンちゃん



ドラムのスティックケースを運ぶ袋



ピアノを弾くゲンちゃんをバッグに描いた
ゲンちゃんの楽しそうな姿を見て、人間って根源的に色で描くのが好きなのかしらと思った。

そんな日々を過ごしていた時に、銀座のセントラル画廊で催された永山裕子氏の個展に行った。永山氏の水彩画を見たくなったのだ。美しい水彩絵の具が広がり、混じりあい、重なり、混然一体となって、一枚の絵に特別な空間を醸し出す。全体がぼやけているようなのだが、ガラスの器や花のいくつかにピントがぴたりと合って、フォーカル・ポイントを作る。

展覧会の度、何という素晴らしい技術だ、と感嘆する。そして、その絵の数と言ったら・・・。
広い会場を夥しい数の絵が埋め尽くしている。大きな絵を毎日一枚以上描いているのかしら。



永山裕子展葉書


日記というタイトルの絵


やり直す力と壊す勇気がある、と書いてある挨拶文

いとも簡単にこんな絵が描けてしまっているような印象を受けるが、彼女の本によれば、二十数枚も失敗してようやく出来たりするらしい。多分、自分なりのお話を絵の中の空間に作り出そうとしているのだろう。しっかりした構図に対し、思いがけない滲み方をする絵の具がそれを完成させる。絵のタイトルも、「日記」などと、こちらの想像力を刺激する。




そうそう、ブッダの話に戻るが、永山氏のように向上心に燃えて、もっと良い絵を、もっと良い絵をという欲望に忠実に描いている人がいるからこそ、見る者が感動する機会があるのである。

ゲンちゃんも、大きくなっても今みたいな絵を描いて欲しいな。もっと楽しく、もっと豪快に、って念じながら。思いっきりやりたいことをやってね。

厳しい仏道の修行をして真理に到達するのは他の人に任せて。
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