Blog
Blog

資産が大きくなると気持ちはどう変わるのか

ROSSO 2021.05.31

Pocket



今回は、資産の増減と気持ちの関係性について話したい。

投資や経営をしていると、日々生活する中で、資産が増減することは至極当然である。
資産規模によっては、1日の増減幅が数百万円から数千万円、場合によっては数億円ということもザラである。

一般的に、お金が増えれば「嬉しい」「楽しい」といったポジティブな気持ちになり、一方で資産が減ってしまえば、「悲しい」「悔しい」「マイナス分を取り返したい」といったネガティブな気持ちになりがちだ。

しかし、私の場合は投資や起業は効率的に資産を増やすためのゲームに過ぎず、あまり日々の取引の中で感情が一喜一憂することはない。
さらには、元々自身の力を過小評価する癖があり、ここまで資産が増えたのも実力ではなく、「運」や「偶然」の産物であると考えているため、特に資産の増減で気持ちが揺れることはないのだ。

そのため、今の段階で資産の増減と気持ちの起伏に関係性を聞かれるのであれば、資産が増えたからといって心理的に安定することもなければ、今ある資産を守らなければならないといったようなプレッシャーも感じない。
破産や倒産といった最悪のケースになったとしても、再起できるだけの実力や能力は備わっただろうという根拠のない楽観論や、 「破産したことをネタに面白い話ができる」など、ポジティブに考えている節があるため、いかに人生をゲーム感覚で過ごしているかがおわかりいただけるだろう。
タイミングが来れば積極的に投資するし、そこで失敗すれば、なぜ失敗したのかという検証をするだけだ。

ただし、元々このような強靭なメンタルを持っていたり、感情をコントロールできたりしたわけではない。
この価値観を構築するまでには、人間が本来持つ「欲望」の種類や行動原理、自分のことを深く知らなければならない。

私も含め、人にはそれぞれ満たしたい欲がある。
「美味しいものを食べたい」(食欲)、「たくさんのお金が欲しい」(金銭欲)、「好きなものを買いたい」(物欲)といった一般的なものから、「新しいことを知りたい」(知識欲)、「出世したい」(出世欲)、 「どこかの組織に属したい」(所属欲)、「人に認めてもらいたい」(承認欲求)など、人には多かれ少なかれさまざまな欲が存在する。

一般的には、心理学者アブラハム・マズローが提唱する「自己実現理論」の5段階欲求に説かれるように、人には低階層から順々に、より高次な欲求を欲するようになる。

また、論語のことばに「富と貴きとは、是れ人の欲するところなり。其の道を以て之を得ざれば、処らざるなり。」(金持ちと高い身分は誰でも欲しいものだが、それは正しい方法でなければ、たとえそれが得られる(叶った)としても、 (得たはずの富や高い地位が)そこにとどまることはない)という一文が存在する。



これらからもわかる通り、お金や地位は誰でも欲しいものだ。
それは私も同じである。しかし、それを得る(得たい)のであれば、正しい方法で、かつその富を手にする地位につくだけの人間性や価値観が備わっていることが不可欠であると考える。
仮にその器量が備わっていない、身についていないのであれば、その人にとって、その富も地位も不相応である。

この教訓は、過去に見てきた身近な経営者や投資家からもうかがい知ることができる。
だからこそ、資産の規模に一喜一憂することなく、今やるべきことに目を向け、日々精進するしかない。したがって、私にとって資産規模は気持ちに影響を及ぼさないのである。

私の好きなことばに「Noblesse Oblige」(ノブレスオブリージュ)がある。
これは、身分の高い者は、その身分に応じた社会的責任や義務を果たすべきであるという欧米社会に根付いた基本的な道徳観である。

人の欲望には際限がない。そのため、どの国の富裕層でも共通して言えることだが、成功していても「さらに」「もっと」とより高みを見てしまいがちになる。

しかし、過去の教訓からもわかる通り、資本主義や自己成長の考え方に傾倒し過ぎると、その先に待っているのは競争の激化や破滅しかない。
したがって、これからもこれまでと同様に、自分の成長や幸福だけを願うのではなく、私が行動することで「どのくらい世界や社会に還元できるのか?」 「果たして社会を私物化していないだろうか」などを自問自答しながら、経営や投資を行っていきたい。

資産規模がより増大すれば、今以上にプレッシャーや保守的な心が生まれ、エゴイストにもなりかねない。
そうなったときに、この気持ちを思い出して、「資産規模の追及」ではなく、「社会(経済)のために何ができるか」を考えて生きていきたい。

Pocket