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父さんは夜なべをして

Mimi 2021.03.24

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ついこの間までおしめをした赤ちゃんだと思っていた孫のゲンちゃんももう三歳。4月からは幼稚園生だ。入園準備で必要となるのが、手作りの幼稚園バッグ。

30年近く前、息子の入園の際、幼稚園バッグを作らなくちゃ、と母に言うと、母はけんもほろろに、「自分でこしらえなさいね。母親でしょ」と言い放ったものだ。

裁縫の得意な母がきっと手伝ってくれると思っていた私は当てが外れて、愕然とした。
お世辞にも器用とは言えない私は、慣れないミシンに悪戦苦闘。縫ってはほどき、縫ってはほどきを繰り返していると、早起きの鳥の声が聞こえ出し、とうとう夜が明けてしまった。

だが、奮闘努力の甲斐あって縫い上がったバッグは、我ながらほれぼれする出来だった。紺色のキルティングの布地には赤い機関車と貨車がアップリケされている。
反対側には、色とりどりの糸で刺繍された息子の名前。世界に一つしかないバッグの誕生だ。

さて、この前の土曜日、お嫁の真由ちゃんとゲンちゃんがうちに来ておままごとをして遊んでいた。
真由ちゃんはテレワークでZoom会議をしているような話し方だ。
「今日は、良く晴れていますね。景色も良いので、屋上でコーヒーでもいかがですか。こちらのはしごをお上りください。足元にお気をつけて。」
なんて真由ちゃんがゲンちゃんに話しかけると、ゲンちゃんも「はい、上ります。ワンちゃんも上っていいですか?ワンワン、僕も上りたい、と言っています。」などと丁寧に返事している。



漏れ聞こえて来る二人の会話を面白がっていて、あれっと思った。
私の息子、つまりゲンちゃんのパパがいない。こんなおままごとの時には大抵一緒に遊んでいるのに、どこに行っちゃったの?
そこで、真由ちゃんに訊いた。すると真由ちゃんたら突然歌いだしたのだ。

「母さんは夜なべーをして、手ぶくーろ編んでくれたあーーー。でも、うちの場合、母さんじゃなくて父さんが夜なべをするんです。今日はがんばって幼稚園バッグを作っています。」

わぁ、私の時代には、パパが幼稚園バッグを作るなんて、思いもよらなかった。母親が作るものだと思っていた。可愛いのを作るのが母親の愛情のバロメーターだと信じて。

ところが息子夫婦の場合、息子が「僕が作る」と宣言。自分でデザインを考え、ユザワヤに生地を買いに行ったそうだ。
週末しか時間が取れないので、土日で仕上げるのだと張り切っているとか。

ところが、そんな話をしていると、当の息子から私に電話がかかって来た。
私の家の電動ミシンを持って、息子のおばあちゃん(つまり私の母)の家に来ている。ところが、そのミシンが動かないというSOSの電話だった。
早速向かいの母の家に行ってみると、息子はねじ回しを持ってミシンを分解しているところだった。それをおばあちゃんが心配そうに見ている。
全く動かなかったのだが、分解してミシン油を注したら、上の方は何とか動くようにはなった。
でも下糸が出てこないとのこと。動くと言っても、モーターのペダルを踏むと、グアアアアアダダダダと、異常に大きな爆音がする。
この30年一度も動かしていないミシンだ。動くのを期待するのが間違っているのかもしれない。


30年ぶりに出したミシンは動かなかった。

直るかどうかわからない物に拘わる時間ももったいない。
「今すぐビックカメラに行って、新しいミシンを買っていらっしゃいよ。」そう私が言った時、おばあちゃんが「それなら、このミシンを使ったら?」と指差したのは、昔の足踏みのシンガーミシンだった。
鉄の台に載った木製の箱の蓋を開けると、ミシンが出て来るあれである。おばあちゃんがお嫁に来た時には既におうちにあって、おばあちゃんのお姑さん、つまり私の祖母が使っていた。


シンガー足踏みミシン

息子は躊躇する。いくらなんでも、自分のひいおばあちゃんが使っていたミシンで縫物をするというのは想定外だったろう。
だが、おばあちゃんは、「このミシンが使えなかったら、新しいのを買いに行けばいいじゃない。まずは、試してみたら?」と言う。
そこで、試してみると、「カタカタカタ」と調子の良い音が鳴り、何とか使えることがわかった。だが息子はうまく操作出来ない。
そこで、おばあちゃんの出番。息子が針に糸を通し、おばあちゃんが縫う。ところが、うまく行かないと更に内側を縫うことになる。
すると、幼稚園の規定の出来上がり42センチの幅に1センチほど足りなくなってしまう。そこで、もう一度ほどいて縫い直さなければならない。
ほどく時、縫い目が開くように両手で引っ張るのがおばあちゃん。孫息子がそこに鋏を入れ糸を切る。90歳のおばあちゃんと30過ぎの孫が額を突き合わせるようにして、連携プレイをしている。

30年前私がバッグを作る時には、自分で作りなさいと言い放った私の母が、自分の孫には、最大の協力を惜しまない。
でも、見ていると何か微笑ましい光景だ。出番のない私は、そっと二人の共同作業の現場を後にした。

そしてふと思った。あの足踏みミシンって、オルダス・ハックスリーがBrave New World を書いた時ぐらいの物ではないか。初版は1932年である。1902年生まれの私の祖母がミシンを買ったのはそのくらいかしらと思う。

Brave New World は、未来世界を書いた小説だ。人間は受精卵の段階で、将来を決定づけられる。
一番上の階層、アルファに属する者は、一つの受精卵から一人。ところが、一番下の階層のイプシロンに至っては、一つの卵が96にも分割される。
上の階級の者は美形で頭も良く、知的な仕事に就くことが出来るが、イプシロンの人たちは醜い外形で一生を最下層の労働者として過ごす。
だが、それを疑問にも思わないように洗脳されている。培養で生まれるので、人間には、家族という単位が無くなり、恋愛も結婚も存在しない。


Audible の画像より

ああ、ハックスリーがこんな途方もない小説を書いていた頃から、このミシンは全然変わらず、動いていていたのだ。
そして、このミシンのお蔭で家族がこうやって、一枚の幼稚園バッグの為に協力し合っている。真由ちゃんは、パパが安心してバッグを作れるように、ゲンちゃんのお相手をすることによって。

今回、私の出番は殆どなかったけれど、一つふふふっ、と笑ったことがある。
息子が選んだキルティングの生地は、紺色。彼が幼稚園時代使ったバッグと同じ色だ。そしてアップリケは、機関車じゃなくて、ロマンスカーだけれど、電車であることに変わりはない。


幼稚園バッグにはロマンスカーがアップリケされた

ささやかだが、家族の記憶遺産が繋がったような気がしたのだ。

Brave New Worldは、ユートピア(理想郷)の反対のディストピア(dystopia)を描いているとされる。
ハックスリーが描いたような、家族という概念のない社会が実現していなくて良かった。彼が物語に設定した年代、2540年にもそうでありますよう。

そして、シンガー足踏みミシンさん、これからも家の唯一のミシンとして現役で活躍お願いしますね。


完成したゲンちゃんの幼稚園バッグ

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