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富裕層の私が考える「お金」と「幸せ」の関係性とは

ROSSO 2021.03.23

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「お金と幸せに相関関係などあるのか?」私も常日頃感じている疑問だが、今回は、私が考えるお金と幸せの相関関係について述べいきたい。

早速結論だが、私はお金と幸せに相関関係はないと考えている。 もちろん、お金があれば経済的制約が軽減されることはもちろん、自分の好きなものが山ほど買える。精神的にも落ち着くことができるため、人に優しく接することができたり、心にもゆとりが持てたりできる。

確かに、こう考えればお金はあるだけ良いし、所有するお金の量に比例して幸せ、つまり満足度は高まることだろう。

しかし、その一方で、たくさんお金を稼いでも使える時間がない、または買いたいものがなかったらどうだろうか? たくさん働いているにもかかわらず、そのお金を使う時間や使ってあげたい人がいないとなれば、そもそもその人はなんのために働きお金を稼いでいるのだろうか。また、それは本当に幸せなことやのなのだろうか。

お金と幸せの相関関係を調べた有名な研究がある。 2015年にノーベル経済学賞を受賞した教授ら(アンガス・ディートン)によると、 年収7.5万米ドル(1米ドル=108円換算)、日本円にして約800万円までは収入が増えるにつれて幸福度が上がる傾向があるものの、 それ以降は伸びが緩やかになるか横ばいだと言う。 また、日本の調査でも、世帯年収の合計値が「年収2,000万円〜3,000万円未満」までの世代であれば幸福度が増加していくものの、それ以降は主観的な満足度が下がると言われているのだ。

正直なところ、年収がいくらになっても、物欲や自己顕示欲に溢れた人は現状に満足することはないだろうし、 その際年収がいくらであるかなんて関係ないと思う。
現に、昨今SNSを介して他人のライフスタイルが簡単に覗き見できる時代になり、「自分なりの幸せ」などあるのだろうか? 人の幸せに対してマウントを取ったり、他人の幸せと自身を見比べたりすることが当たり前になりつつある恐ろしい時代である。

一方で、年収が低くても身近にある幸せを噛み締めることができる人や、 大切にできる人であれば、お金に囚われることなく幸せを感じ取ることができるのだろう。
そのため、お金と幸福度の相関性は人それぞれであるか、またはないのかなと私は感じている。



私がこれまで経験してきて感じるのは、 お金を持っているだけでは決して幸せになれないと言うことだ。 それ以前に、そもそも多様性を受け入れる時代に突入する中で、 「お金=幸せ」という短絡的な尺度で幸せを測ること自体が難しいのではないかと思う。穿った見方を心がけている私は、この質問を見るたびにそう感じてしまう。

幸せの定義は人によって異なる。 物を買えば満足する人もいるたろうし、友人とお酒を飲むことが幸せという人もいる。 したがって、お金をいくら持っているかではなく、自分の価値観や興味関心に合った体験やアイテムにお金を使える人こそ、 自分が幸せになれるかを知っている人である。つまり、自分のお金を人生経験に使うことや、社会とのつながりをいかに持てるかどうかで、幸福度は違ってくるのだ。

お金は生活する上では欠かせないものである。そのため、なければ生活が貧しくなるだけでなく、他人へ厳しくなったり、優しくすることが難しくなったりする。
そのため、この人たちにこの問いを投げれば、「お金はあるだけ幸せだ」と答えるだろう。

その一方、お金がある人にこの質問をすればどうなるか? お金はたくさんあっても嬉しいが、仕事の業務量はどうか? 家族や両親、子どもとの関係性はどうか? 病気はしていないか? など、別の質問が返ってくるだろう。

仮に上記に列挙した項目のどれか一つでも該当していれば、お金があるから必ずしも幸せということにはならないだろうし、「それならお金は必要ない」と答える富裕層も一定数いるのではないだろうか。

所詮、お金は幸せを生み出すリソースの一つに過ぎない。それが、資本主義が加速する中で、いつの間にかお金(資本)が幸せの主役に躍り出た結果、「お金があるから幸せ」という答えにたどり着いてしまったのだろう。

この文章は、現代の当たり前であると同時に、とても悲しいものである。テレビでも、お金を持つ富裕層や成功者の意見が正解として扱われ、そうでなければ取り扱ってすらもらえない。でも実際は、お金を持たざる人がマジョリティである。

そう言ったことを踏まえると、より一層多様性や価値観の違いを受け入れ、皆が共生できる社会になっていって欲しいと切に願う。まだ私は比較的若いため、日本に対する希望は捨てないでいるが、これが絶望に変わるときにはすでに日本には居ないのだろうと推測している。いつか私がこの記事を国外で書くことがないよう祈っている。

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