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私が企業家になった意外かもしれない理由

ROSSO 2021.03.23

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私が起業家になるきっかけは、大学1年生・年齢にして18歳まで遡ることになる。(このときはまだ、今後の社会人生活がこのように波瀾万丈になるなど思っても見なかった……。)

まず、先にはっきり申し上げるが、私が起業家になりたいと思ったきっかけは、 大学生なら誰でも浮かぶような理由であり、かなり不純なものである。昨今、学生起業している優秀な学生たちのような物語もなければ、社会に「変革」を起こすつもりも毛頭ない。

したがって、このストーリーを読み進める際は、「この程度でも起業家になれるのか」というスタンスで読んでいただきたい。

話を元に戻そう。私は大学時代に賢かったわけでもないし、元々起業するつもりで大学に入学もしていない。当然、実家もお金持ちではない。そんな私がなぜ起業したいという気持ちになったのか?

・経費でお酒が飲みたい
・タワーマンションに住みたい
・スポーツカーに乗りたい
・女性にモテたい

この4点である。これだけを話せば、いかに行き当たりばったりで起業を始めたかおわかりいただけるであろう。



そのため、起業してすぐはビジネスプランもなければ、「こういったことがやりたい」というこだわりもなかった。人以上に稼げれば内容はなんでも良かったし、むしろ後になってこれを「起業家」と言って頂けること自体が光栄なことだ。

あの当時を振り返ると、仕事やビジネスと言うよりも、単なるバイトの延長線であった。それでも、私は起業して会社を立ち上げることにした。

しかし、ある意味私たちはついていたのかもしれない。 私たちが起業した当時は、スマートフォンの黎明期であった。そのため、今ほど皆のITリテラシーが高いわけでもなければ、デジタルテクノロジーが発展していたわけでもなかった。

当時のイメージでは、何かスマートフォンに付随したサービスを生み出せば、一定数の収益化は見込めるだろうと考えていたほどで、結果的に数年かけて収益化に成功している。

その点、昨今の起業家は優秀である。 社会問題や技術革新に触れたプロダクトや、より革新的な技術を駆使することで、我々の生活の利便性を高めてくれるなどの付加価値が存在する。だからといって、それが収益に結びつくかは不透明なのだから、 いかに我々の時代における起業が簡単であったかがおかわりいただけるだろう。

私が起業や経営していて感じるのは、世間は不平等であり、 今後も平等になることはまずないということである。それに、どんな道でも同じことが言えるが、夢や目標に向かって努力したからと言って、夢が叶うわけでもなければ、やりたいことが見つかるわけでもない。現実とはそんなものである。

それに付け足して言えば、その道で頑張って努力している人は、私以外にもたくさんいることを忘れてはならない。しかし、最初からそれを言い訳に何も始めない、努力しない、目標も追わないのはまた別の話だ。

あくまでも、夢に向かって努力したところで、それが道半ばで潰えたり、努力しても収益化できないことで倒産したりするのは結果的な話であり、何もしないこととは雲泥の差がある。

近年、講演を行った学校や寄付先の人から、「成功するには何をしたら良いですか?」といった類いの質問をもらうことがある。正直、これがわかっていれば私自身もここまで苦労することはなかっただろう。

私が投資家・起業家の道を進んでいて感じるのは、特別な才能や待遇は必ずしも必要ないということくらいである。事実、何かで成功した人を観察していると、直感や嗅覚に優れているような一面は見受けられるものの、 そんな能力は誰でも培える力だと考えている。

それに、成功される人は、他の人と比べて特別なルーティンをこなしていたりするのではなく、 当たり前のことを当たり前にこなしているだけだ。したがって、経営者をはじめ、起業家や投資家などという仕事は、生まれ持った才能や待遇がなくても誰でもなれる仕事ということである。

私が起業家になるきっかけという話から脱線してしまったが、この程度で起業家を目指す人がいるという現実をおわかりいただければ幸いである。
そして、こんな不純な動機から起業を志した人間でも、今までに10以上のビジネスを展開し、3度ものバイアウトが成立しているのだから世も末である。そういった意味では、皆さんに勇気やお力をあげられるような底辺起業家であることは言うまでもない。

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