私が感じる富裕層の方たちの「人間味」とは
ROSSO 2021.03.23
私は、富裕層の方が好きである。好きな理由は、事業が成功しているからやお金をたくさん持っているからでは当然ない。
私が富裕層と話していて常日頃話していて感じるのは、自分が知らない話をたくさん知っていたり、チャレンジ精神旺盛で前向きだったり、富裕層は世間一般でいう「ポジティブ」な人間たちの集まりだということだ。
それに、一般の方と客観的に比較すると「良い意味で変わった人」たちでもある。そのため、多様性や価値観の違いを素直に受け入れてもらえることが多い。
また、何より感謝したい部分が、世間一般で嫌われている人に見受けられる、頭ごなしに人の意見を否定したり、高圧的な態度を取ったりする人はまずいない。当然、人によってあからさまに態度を変えることもしない。常に優しい眼差しで話を聞いてくれて、仮にこちらが間違った話をしていても、訂正も否定もしない。そのため、我々のようにまだ社会の摂理を知らない者でも、発言しやすい環境を作ってくれるのだ。
ここで、ある知人の富裕層(上場企業の社長)の話を例に挙げたい。この方との付き合いはかれこれ8年ほどになるが、今でも年に4〜6回程度食事へ行く仲である。
なぜここまで食事に誘って頂けるのか以前聞いてみたことがあるが、それは立場や年の差関係なく、私が率直に意見するからだそうだ。発言するとき、私はその人に対するリスペクトや背景をもとに意見はするものの、 その意見自体が間違っていたり、偏ったりしたものであれば、忖度もしないし迎合もしない。
その人が素晴らしくなければ、どの立場の方であっても賛同・賞賛しない。通常であれば、こんな人間はまず敬遠されて仲良くなっていただけないだろう(それは私も常々感じている)。
しかし、富裕層が考えるのはその逆である。 この方が仰っていることは、「みんな私(富裕層)に対して萎縮しているのか、発言しようとしない」「迎合した意見ばかり出てくる」「間違いを気にするあまり、率直な意見が聞けない」など、 その人を気遣ってなのか立場なのか知らないが、何も言わないということである。
また、この方自身、誰からも発言・アドバイス・意見されないことで、気づかぬうちに自分が「裸の王様」になってしまうのではないかと言うことをとても危惧している。
私は、年齢や境遇に関係なく、人の意見を素直に聞ける人が一流なのだろうと思う。そして、私個人が微力であっても、間違ったことは正す、言いたいことははっきり言うことで、少しでも社会や組織が良くなればと感じながら日々経営している。
ありがたいことに、私の周りには、立場や境遇に関係なく意見してくれる同期や後輩がたくさんいるため、常日頃、自分のできない部分を可視化できたり、反省するチャンスが生まれたりしている。そのため、去年より今年が、今年より来年がという形で人格形成がなされ、日々改善されて良くなっていると感じている。
ここからは、ここ数年で感じる私個人的な意見をお伝えしたい。先程の富裕層にもあった話だが、我々のような若手が企業の上司や社長に物申すのは勇気が要る。言ったことで人間関係が悪くなったり、仕事がし難くなったりすることも理解できる。
ただ、実際に言わなかったことで、その人がどうなるか考えてもらいたい。私が知る限り、こういった人たちは自分の意見を見直したりすることもないし、むしろ自分が合っていることをしていると言って聞かない。
それはなぜか? 周りで関係する誰からも何も言われないからである。これだけ聞けばとても悲しい人であり、人望がない人だと思うが、私からすれば意見を言わない人の方にも責任があると思っている。
先程触れた部分には配慮するが、言わなければいつまで経ってもその人は改善されない。その組織、仕事に諦めがあるのならそれでも良いが、意見を戦わせなければ共有はまずない。「あの上司は使えない」「社長は何もわかってない」と文句を言っている同僚や社員を見るが、それは当事者が悪いのが大前提だが、その周りで携わっている方も同罪である。
その点、富裕層や経営者は、いささか簡単であると思う。ある意味、出来・不出来は日々の経営能力や売り上げで可視化されるため、今の言葉に置き換えれば、簡単にマウントが取れてしまうし、相手の発言力に真実味があるため、意見を聞かざるを得ない。そのため、相手を正したい、意見したいと思うのであれば、絶えず結果を出し続けるしかないだろう。
ただ、それだけでは決して社会は良くならない。笑い話ではあるが、私は成果の有無に関係なく、今日も富裕層や経営者に対して、自身が思うことをストレートにぶつけていきたいと思う。