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富裕層になりたい人に贈りたい2つの言葉

ROSSO 2021.03.12

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みなさんは、なぜ富裕層になりたいと思うのだろうか? 
「欲しいものがいつでも好きなだけ買えるから」
「経済的に・時間的に自由になりたいから」
「純粋にお金持ちになりたいから」
「幸せになりたいから」

これらのことが達成されたからといって、果たして幸せかどうかはさておき、現状に不満や不安があるのであれば、時間やお金、仕事からも解放された富裕層になることには一定の意味があるだろう。

では、富裕層になりたい人はどんなことをすれば良いのか?私は、次の2つのアドバイスを贈りたいと思う。

一つは、「なぜ富裕層になりたいのか?」といった目的を明確にすべきということである。

よく聞くのが、富裕層になることでお金や時間というしがらみから解放されたいといったことや、やりたいことをしたいといった、「自由になりたい」や「不満・不安から脱却したい」という意見である。

しかし、富裕層になった立場から言うと、実は富裕層になったからといって、お金や時間から解き放たれたり、不安や不満が消えたりするわけではない。むしろ、富裕層になることで、考えることが複雑化したり、あらゆる責任や制約が生じたりする可能性がある。

経営していれば、常日頃、会社やビジネスの先行きを考えてしまうし、投資家なら相場の上げ下げに一喜一憂してしまうなど、その人の状況によってさまざまである。そのため、富裕層になりたいということを考える前に、「なぜ富裕層になりたいのか?」といった目的を明確にしてもらいたいのである。

正直なところ、お金や時間はあればあるだけ良いと考えることもできるが、多く持っていることや自由であることが、必ずしも幸せにつながるとは限らない。

現に、私がこれまで見てきた富裕層の方々の中には、お金に固執し過ぎて人生が狂ってしまった人や、 自分を見失ってしまった人が数多くいる。 その人たちを分析してみると、富裕層になることやお金持ちになることを目的にし過ぎるあまり、本当に大切なモノや価値を見誤ってしまっていることが共通している。

そうすると、 富裕層になったところで誰も相手にしてくれないし、 仮に相手にしてくれたとしても、それはその人が有する財力を魅力に感じる人ばかりである。 将来的にこういった人にならないために、「なぜ富裕層になりたいのか?」「なぜお金持ちになりたいのか?」、もしくは「富裕層になることで、どんなことを成し遂げたいのか?」など、 初心を忘れない意味でもこれらのことについて考えて欲しい。

もう一つは、「本当に幸せになる道は富裕層しかないのか?」ということである。

正直なところ、私にとって富裕層になることは目的でもなければ目標でもない。私にとって富裕層とは、所詮どこかの金融機関が定めた定義でしかないのだ。

そこで、富裕層になりたいという方に問いたいのは、そんな定義のために、限りある時間や労力、精神を使ってまで”富裕層”になりたいのかということである。

確かに、お金がない人や自由がない人にこの話をしても一蹴されることは目に見えている。現に、お金がたくさんあれば欲しいものは好きなだけ買えるし、新たなチャンスも無数に訪れる。時間が自由なら、趣味にも多くの時間を充てられる。

ただし、富裕層になることは決して簡単なことではない。巷では、お金持ちや富裕層になった人のライフスタイルを切り取って放送しているが、それまでに至る過程や苦しかった経験は美化している演出に過ぎない。
また、富裕層になれればまだ良い話だが、 そこにくるまでに大多数の人は夢敗れてしまっている。 それでも富裕層になりたいと思うのであれば、 大いにチャレンジして欲しいし、むしろ私はチャレンジする土壌がもっと日本に根付けば良いと考えているため、大賛成である。

ただ漠然と富裕層になりたいのであれば、それは成功確率の低い博打やギャンブルと大差がないため、やめた方が身のためだろう。そんなに富裕層になることは甘くない。

日本ではそこに差異を設けず、一律にして「経営や投資は危ない」 「チャレンジして失敗したらどうする」などと不安を煽るため、 一向にチャレンジする風土が根付かない。そうではなく、富裕層なるにあたって、「なぜ?」や「どうして?」を突き詰めて考え欲しい。



昨今の株高や一部バブル的な風潮も相まって、日本国内でも富裕層と呼ばれる世帯の数は増加傾向にある。したがって、ますます貧富の差は拡大している。そうなれば、自ずと富裕層やお金持ちを志す人は増えていくだろう。

しかし、漠然と富裕層を目指すのではなく、どんなプロセスを経て富裕層になりたいのか、何でお金を稼ぎたいのかなど、細部にわたって自身の欲望を知ることで、後に検証することや軌道修正することが可能になる。

自分の人生は自分で決めて進むことに意味があるし、 それが生きることの醍醐味ではないだろうか。 しかし、決めた道だからこそ、そこには失敗や責任もつきまとう。 仮に、それらの責任が負えないのであればやめた方が良い。 ただ、それを持ってしても前へ進みたいのであれば、私は称賛するし、応援している。

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