名画「マリリン・モンロー」が生まれた背景とアンディ・ウォーホル
焔(Homura) 2021.03.12
コロナ渦の今、なかなか海外旅行も状況が続いております。私自身年に数回は訪れるれていたのがアメリカです。
西海岸でまったりとしたレイドバック感を堪能し、東海岸では都会の刺激を満喫する、そんなスタイルでの旅行を楽しんでおります。
そしてニューヨークに行くたびに必ず訪問するのが、ニューヨーク近代美術館「MOMA」。そこにあるアンディ・ウォーホルを作品を見るためです。
特に色とりどりのマリリン・モンローは一度は見ておきたい作品でしょう。今でもアンディ・ウォーホルがなぜこの作品を制作したのか、当時の美術界からは多くの反対意見も飛び出しました。
アンディ・ウォーホルという画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手とマリリン・モンロー、作品の背景には何があったのでしょうか?
アンディ・ウォーホルが手がけた名画「マリリン・モンロー」
1960年代、美術界に大きな衝撃が走りました。それは美術家アンディ・ウォーホルが手がけた「マリリン・モンロー」という作品。
当時亡くなったばかりのトップモデル女優の肖像画がシルクスクリーンによって大量に生産され、「これは絵画です」と言わんばかりに発表されたのです。
当時閉鎖的だった美術界からは大ブーイングの嵐だったようですが、そんな界隈の反応とは裏腹に、今やウォーホルの名は揺るぎないものになっています。
「アンディ・ウォーホル」という名前を知らなくても、マリリン・モンローの絵画を見たことがあるという方は多いでしょう。
一体その時美術界に何が起きたのか、もう少し詳しく見ていきましょう。
美術界からは「絵画と女優を侮辱している」と酷評の嵐だった
ウォーホルが使用した「シルクスクリーン」とは、版画の一種です。絹(シルク)のようなメッシュ状の素材に細かく穴を空けてゆき、上からインクを流し込みます。すると穴の空いた部分だけインクが下に通り抜けてゆき、1枚の絵が完成するというわけです。
その制作方法は、美術界においてあり得ないものでした。
絵画というのは、「画家がキャンバスにコツコツと描いてゆく、崇高な一点ものである」という認識が当たり前でした。大量に印刷できる版画は二流・三流という扱いだったのです。
題材のマリリン・モンローも火種になりました。彼女は当時のトップ女優。しかも突然の死があったばかりで、自殺とも暗殺とも囁かれていた非常にデリケートな時期に、ウォーホルはわざわざ版画で以て発表したのです。
「トップ女優の死を売名行為に利用した不謹慎な作品」と言われましたし、美術界の中でウォーホルを排除しようとする動きも見られたそうです。
美術界の酷評に反して大衆から絶大な支持を得る
ウォーホルの絵画が美術界から大酷評を受ける一方で、彼の作品を評価する意見も少なくありませんでした。1970年代以降に欧米の各地で個展が開かれると、彼の地位は確たるものになります。彼が評価された要因を一言で表すなら「大衆性」です。
それ以前の絵画というのは、一部の富裕層がお金をかけてようやく買えるような貴重なもの。その良し悪しも相応の目利きがなければ分かりません。
しかしシルクスクリーンで大量生産された、誰もが知っている名女優の版画というのは、誰であっても親しみやすいものでした。
そうしたウォーホルの大衆的な活動は多岐にわたります。
マリリン・モンロー以外にも、エルビス・プレスリー、エリザベス・テイラーなどさまざまな著名人の肖像画を手がけています。
1点2万5000ドルで依頼人の肖像画を受注していたこともあります。テレビCMに出演し、テレビ番組を自分で企画して、モデル業にまで挑戦したこともあります。
どれもこれも、当時の美術界では御法度とされるものばかりです。
今や20世紀を代表するアーティストの1人「アンディ・ウォーホル」
なぜウォーホルがマリリン・モンローの絵画を制作したのかは、彼が亡くなった今となってははっきりしていません。「当時の閉鎖的な美術界を痛烈に皮肉りたかった」とも、
「大量生産・大量消費のアメリカ社会を象徴したかった」とも
、 「単に大ファンだった女優の死を悼みたかった」
とも言われています。
常に美術界から批判にさらされていた彼ですが、大衆の支持はそれ以上に大きく、今もなお人気は上昇しています。
作品の商品的価値という面でも、「アンディ・ウォーホル」というブランドは値崩れすることなく、2000年以降も高騰しているそうです。