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コンマリさんには悪いけど

Mimi 2021.02.25

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311(サンイチイチ)は10年前の出来事。家で読書中に地震が起きた。
東京の私の住んでいる地域は地盤がしっかりしているとかで、いつにない強い揺れだとは思ったが、写真立て一つ倒れることもなく揺れはおさまった。

読書を続けていると、電話が鳴った。母からだった。ジムのプールで泳いでいたら、突然プールの水がざぶんざぶんと波打ったそうだ。
「ねえ、私の家はちゃんと建ってるかどうか窓から見て。」
そう、母の家は私の家の斜め向かいなのだ。窓から見ると、建物は健在だ。
「うん、大丈夫みたいよ。」
「それなら、もう一つレッスンを受けて帰るわ。」

 東京に住んでいる人なら、こんな風に最初のうちは地震のすごさに気付かなかった人も多いのではないだろうか。

夜になって、息子が仕事から帰って来る時間になったが、なかなか帰らない。
ようやく、夜9時ごろ玄関で息子の「ただいま」という声。私のいる居間は二階なので、声だけしか聞こえない。ところが、「ただいま」に続いて、「お邪魔します」という声がするではないか。
そんなことも、しょっちゅうなので驚かない。誰かお友だちを連れて帰ったのだな、と思い、「いらっしゃーい」と返す。すると、また「お邪魔します」の声。あら、二人連れてきたのかしら?と思いながらも、「いらっしゃーい」と返す。 その後・・・なんと、
「お邪魔します。」
あれれ?三人?
とんでもない、「お邪魔します」「いらっしゃーい」はその後何度も繰り返され、結局2階に上がって来たお客さんは10人だった。
息子は、帰宅困難者の友人たちを誘って、家まで4キロほど歩いて帰って来たのだった。
その時に、私は地震がどんなにすごかったのかを知ったのだ。

突然10人もの客が家に押しかけてきたら、普通の家の主婦は狼狽するのではないかと思う。ところが、私の場合はなぜかヘイチャラだった。食べ物は豊富に買い置きがある。
若い人たちにも手伝ってもらって、おいしいシチューの夕食も完成。みんな、満腹。映画の話、面白い本の話、絵画の描き方の話、談論風発、楽しい話題で盛り上がる。

さて、次に私は大きめな紙袋を10個用意。それぞれにタオルセット、歯ブラシ、下着、パジャマを放り込んでいく。男の子には男性用、女の子には女性用。パリで買った新品のパンティ、かわいいパジャマなどちゃんと人数分ある。


いつもは大きさ別に仕分けしてある丈夫な紙袋

息子は、「ドコモの人はこれね。」「AUの人はこれね。」と携帯の充電器を配っている。コンタクトレンズ用の洗剤や保存液まである。(うちでは誰もコンタクトを使っていないのに。)

極め付けは布団だ。向かいの母の家から運んできた分も含めて、10組揃った。(母によれば、後10組くらいはあるという。)

二つのバスルームをそれぞれ、男湯、女湯と分けてスムーズにお風呂も完了。無事就寝。

翌朝も、焼き立てパンやワッフル、中華点心の並んだビュッフェ・スタイルの朝ごはん。その後皆さん電車で帰宅の途に就いた。


朝ごはんはこんな感じ

息子は、後で、「なんて危機管理の行き届いた家なんだ」と感心されたそうだ。

10年後の今、振り返って見ると、「いつか役立つかもしれない」と思って取っておいたり買って置いたりしたものが役立ったのだと思う。

ミニマリストの人の中には、フライパン一つだけしか調理器具を持たず、それでお湯を沸かしたり、料理し、そこから食べたりする人がいるそうだ。

フィンランド映画、「365日のシンプルライフ」という映画で、主人公ペトリは家にあるもの何もかも、自分の着ている下着まで全部倉庫に運んでしまい、最初の日は裸で家に帰る。
そして一日に一つ倉庫から何か持ち帰ることにするのだ。自分の本当に必要な物を見出すために。見ているのは面白いが、自分で決めたことと言え、毎日不便な生活を余儀なくするペトリは気の毒であり、滑稽でもある。

この映画の中で、主人公は最初に全部の持ち物を倉庫へ運び、毎日ひとつずつ持ち帰る。

自分の家が片付くのと引き換えに、せっかく文明が与えてくれた便利さも放棄してしまっているような気がする。

お片付けのプロ、コンマリこと近藤麻理恵さんも、いつか役立つかもしれないと取っておいたものは、捨てるように指南している。ときめきを感じない洋服も捨てるようにとも。


コンマリさんの本はアメリカでも大人気。私の聞いたAudible でも三万人もの人が評価を付けている。

そんなコンマリさんが、ライブで自分の服のお片付けをすると言うので、ラインで拝見した。
コンマリさんのことだから、一秒の何分の一のスピードで、服を見るなり、どんどん仕分けするのだろうと楽しみにしていた。

今回彼女が整理するのは、アメリカに住んでいる彼女がメディアに出る時に雇っているスタイリストが選んだ洋服の数々。
クローゼットに一杯になってしまったそうだ。ところが、である。一枚ずつ服を持っては、それぞれの服についての思い出に浸りながら語りはじめるのである。
「これは初めてアメリカのテレビ番組に出た時に着た服なんですよね。」なんて言いながら、なかなか放さない。
その後もハンガーの服を持つ度、「この服は好きなんですけれど、もう何度も着たから、これでメディアに出るわけには行かない」なんてぐずぐず言っている。 あげくの果てには、これは「プライベート用に着ることにします。」なんて言いながら取っておく。呆れながら、途中で見るのをやめてしまった。

世の中には、コンマリさんの教えに従って「ときめく」物だけを残して処分してしまった人たちがたくさんいると思う。確かにゴミ屋敷から抜けだすのにコンマリさんの功績は大きい。
だけどね、コンマリさんだって、人にはそんなことを言いながら、思い出に浸ってぐずぐずお片付けをしているのですよ。

そしてね、「いつか役に立つかもしれない」と言う物は、役に立たないのに越したことはないけれど、もしかしたら役に立つっていうこともあるのです。


「捨てないで良かった!」
昔息子が遊んだ自分で運転する新幹線を、孫のゲンちゃんが今は夢中で運転している。


今は使っていないタッパーウェアも、ご近所やお友達へのお裾分け用に大活躍。

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