眼の先10センチの宇宙

Mimi 2018.06.25
 梅雨の季節は何と言っても紫陽花が美しい。うちの庭の小さなガクアジサイを摘んで、小さな陶器の一輪挿しに活けたら、何とも魅力的。スケッチしたが、透明水彩絵の具を使って植物画のように描くと、私が可愛らしいと思う気持ちが伝わらない。

 湿って重い空気の中で可憐に咲く紫陽花を表現するのには、どうしたらいいのだろう。しまいには、グァッシュの絵の具や、水で描く油絵の具まで動員して空気感を描こうとした。日数をかけて描くうちに紫陽花は萎れてしまったけれど、自分の好きな色とテクスチャーで描いた絵は完成。この色合いは、私の心の中の色。(トップの絵)

 そんな時、万華鏡の細野朝士(ともお)氏から銀座での個展のお知らせが届いた。何という偶然。実は、私の心の中の色とは、細野氏の万華鏡の世界の色なのである。今は万華鏡を覗かなくても、蘇る。もう遺伝子レベルまで染みついている気がする。

 細野氏の万華鏡との出会いは、もう十数年前に遡る。日本橋の丸善に行った時、たまたま万華鏡の展覧会をやっていた。内外の一流の万華鏡作家の競演である。ガラスやビーズ、ステンドグラス、木、彫金、見た目も豪華な万華鏡が並んでいる。それらを次々手に取って覗いて見る。わくわくする。ところが、暫くぐるぐる回して見ているうちにどんな世界が目の前に広がるのか予測できて、飽きてしまうのだ。万華鏡の中の世界より、外側の方が豪華だわ、初めて手に取る時が一番わくわくするわ、などと皮肉なことを考え始めた時、パッと目に飛び込んだのが、全く変哲もないステンレスの筒である。

 私は、その取りつく島のないほど簡素な筒を、何の期待もせず手に取った。だが、ひとたびそれを覗いて見ると、わあぁぁぁぁ!というような美しい世界が広がったのだ。衝撃的な瞬間だった。細野氏の万華鏡との出会いである。ステンレスの筒の中には、世界の何人たりともこれまで見たことがなく、予想もしないような世界が広がっていたのだ。そして、それは刻々と様相を変えて行く。もうこのまま動かないで、と念じて筒を保持しても、世界は動き続け、同じ世界は未来永劫二度と現れない。だからこそ、今見ている世界を脳裏に焼き付かせようとするうち、いつの間にか万華鏡の筒の跡が目の回りに残ってしまうほど見入ってしまう。それが、細野氏の万華鏡だ。

 これは、偏光万華鏡のなせる業である。万華鏡には、普通「具」と呼ばれるものを入れる。ビーズでも貝殻でも毛糸でも植物でも何でもが具になり得る。それを筒先にセットすると、具が動き、筒の中のミラーの数や置き方に応じて、見え方が変わってくる。

 ところが、細野氏はいわゆる「具」を使わない。彼の使用するのは、偏光フィルムだ。それをオイルに漬けることにより、緩やかでありながら、劇的に変化する様相を示して、思いがけない情景を作り出すのだ。

 丸善で私が見たのは、mm(ミラクル・マンダラ)というシリーズの一本だった。覗いた時に、一方の端にだけ花のような形が現れる珍しいものだ。私は丸善で一本のmmを買い求めた。そして自分が死に至るような重い病気になった時には、枕元に置いて眺めようと決めた。mmを覗いている限り、あらゆる現実の苦悩が忘れられる気がしたのだ。その時は、その後十数本も細野氏の作品を入手することになるとは夢にも思わなかった。

 細野氏は、自分の作品を「変化する万華鏡」と呼んでいる。次々と新作を作り出すからだ。新作はそれぞれ素晴らしい。だが、私は自分の初めの一本になったmmに愛着がある。ある時、もうどこにも売っていないmmがもっと欲しくて、細野氏にお願いして作っていただいたことがある。それを、お宅まで取りに伺うことになった。急な山道を車で上って行くと、突然視界が開け、頂上にピンクのお城のような邸宅が聳えたっているのが細野氏のお宅だった。万華鏡作家にピッタリの佇まい。3人の幼いお子さんがいらして、芸術家でありながら優しい父親でもある姿を垣間見、こんな風に家庭生活でも充実して暮らしているからこそ、あのような美しい世界が生み出されるのだと納得した。

 その時の細野氏との会話が思い出される。細野氏は万華鏡(カレイドスコープ)の他に、テレイドスコープも製作する。テレイドスコープとは、先端に具を入れず、透明なレンズで外の景色を素材にする。大抵は一つの断片が、いろいろなバリエーションで増殖する。

 私は、テレイドスコープは嫌だと言った。なぜなら、現実の世界など片鱗でも見たくないし、思い出したくもないから。当時の私はといえば、真の平和な世界はmmの中にだけ存在した。しかし、細野氏はテレイドスコープが大好きだと言った。今思えば、細野氏は、人生を本当に楽しんで生きていて、どの断片が増殖されても、幸せが増える結果になった。

 さて、細野氏の銀座の個展、真由ちゃん(うちのお嫁さん)と孫のゲンちゃんと一緒に行った。私のカレイドスコープのコレクションは、いずれゲンちゃんの所に行く。その記念にも、細野氏に会わせたかったのだ。

 万華鏡の新作を次々覗いて堪能した後、ふと見ると棚の一画にテレイドスコープ。覗くと、梅雨の晴れ間の銀座の街が面白い形で切り取られ、複眼で見たように増殖した。あらっ、きれい!向きを変えると何百人の真由ちゃんとゲンちゃん。私の大切な家族の笑顔がレンズの向こうで無限に広がっている。テレイドスコープも悪くないな、と思った。

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