ゴールデンウィークは天国で
Mimi 2018.05.15
今私の書斎の机の前に小さな透明プラスチックのケースがあり、そこに黒い丸い石が2個コロッと入っている。アーモンドチョコくらいの大きさのと、うんとちっちゃいのと。
これを見ていると、まどみちおの「はなくそぼうや」という詩を思い出す。その詩は、次のように始まる。
ぼくがフルスピードでかけているとき
ぼくがジュースをのんでいるとき
わめきちらしているとき
ぼくが「何もしていなくても 世界がひっくりかえっても そんなことには おかまいなく おまえは肥りつづけていたんだ」と詩人は呼びかける。「鼻のおくに じんどって ひとり にこにこ まるまると」
次に詩人は、ひとさし指のてっぺんにつまみ出されている、はなくそぼうやを代弁する。
― いったい ここはどこですか?
そんで ぼくはだれですか?
さて、私のケースの中身は、胆石の親子だ。だが、「はなくそぼうや」同様、目を白黒させて世の中を眺めているに違いない。私だって、自分の体の中で、こんなのがすくすくと育っていたなんて想像だにしなかった。
発端は、土曜の夜突然起こった胃のあたりの強い痛みだ。緊急入院した病院で、かなりシリアスな胆嚢炎と判明。処置のお蔭で黄疸にも敗血症にもならずに済んだが、無味乾燥な病室で点滴に繋がれて辛い10日間を過ごした。その病院では患者は痛みでも何でも我慢するのが当然という考えで、もうこりごり。手術は東大病院への紹介状を書いてもらった。
東大病院で私は生まれたし、東大病院で出産もした。今回の入院手術も東大病院で、と願ったのだ。決まった主治医は若いW医師。親切な雰囲気で、一瞬で信頼してしまった。
ゴールデンウィークが始まってすぐ、東大病院に入院。大量の荷物。何しろ水彩道具一式、何キロもの紙の本、キンドルやオーディブルに英語の本をダウンロードしたタブレット二個。フランス語を書く時のために、仏語の動詞の活用表に電子辞書。エビアンとペリエがぎっしり詰まった箱。お嫁さんの実家からのお花のアレンジに、その日の朝、庭で摘んだバラも持った。入院予定は1週間だが、1か月入院しても良いくらいの量だ。
病室に案内された途端、わたしは、思わず歓声を上げていた。広々として、きれいな一人部屋だ。窓からスカイツリーも見える。素敵な椅子や木の丸いテーブルもあって、壁に絵でも飾ってあったら、ホテルの部屋だ。東京に生まれ育った私は、都内のホテルに泊まった経験もない。わくわくする。
翌日手術。麻酔が効いているので痛みもなく、麻酔が切れても殆ど痛みは出なかった。
まさに、その手術の後からが、「この世の春」だった。朝、シャワーを浴びた後、1度目のにんまりが始まる。今日の気温は、などと気にせず、病院のパリッとした新しいパジャマに着替えればいいのだ。後は読書三昧。食事時には、ホテルのように、おしゃれして食堂に行く必要もなく、ルームサービスでパジャマのままおいしい食事がいただける。窓からの絶景を鑑賞しながらコレステロールも塩分も気にせず健康に良い食事。にんまりの連続。
ついに、翌日退院という日、窓からの景色を描いた。子供の日で、不忍池には色とりどりの足漕ぎボートが行き交っている。池の周りには小さな小さな人影が蠢いて見える。明日には、下界に降りて、あの小さな人たちの一人となり、今日は傘を持つべきなのか、とか、第一月曜だから燃えないゴミの日だ、とか、夕ご飯は何にしようとか、仕事に雑事にまみれて生きて行かなければならない。こうして高い所から下界を見下ろしている今の自分は、この世の天国にいると感じた。
この入院は、私の人生における通過儀礼みたいなものだったと思う。神様が、自分の生き方を整理する機会を与えてくれたのだ。あの世に行くなんて、EUの国境を越えるみたいに簡単だわ、なんて思っていたが、やっぱりこの世でなきゃ出来ないことがある。
下界に戻った今、高い医療技術と素晴らしいチームワークで支えてくださった東大病院のお医者さんたち、看護師さんたちに深く感謝している。患者の苦痛を少しでも楽にし、病気の快復を願う心が溢れた医療。看護師さんたちの知的な笑顔は美しかった。 これも、前の病院で辛い思いをしたからこそ、より身に染みて有難く感じられる。
また、入退院の大荷物を運び、留守宅を守ってくれた家族の存在も有難かった。お嫁さんが日替わりで、スマホに送ってくれる孫の動画も楽しんだ。
得難い経験をさせてくれてありがとう、とケースの石に呼びかける。