春の地中海を訪ねて~①キプロスの赤いひなげし~
Mimi 2019.04.25
Journeys, like artists, are born and not made. ―――旅と言うものは、芸術家と同じで、生まれ出てくる物であり、作り出されるものではない。これは、ローレンス・ダレルのBitter Lemons of Cyprus (キプロスの苦いレモン)の冒頭の一文だ。ダレルは書く。
最上の旅というのは、空間的に我々を連れ出すのみか、内なる世界にも連れ出す。旅行は内省へと導く最上の形態なのである。
『キプロスの苦いレモン』は、小説家であり詩人の英国人ダレルの、キプロス滞在記である。彼はキプロスに家を買って住み、村人たちと交流を深める。滞在中にキプロス政府の仕事をするようになり、また学校で教職も得る。本は、ワインを飲んで騒ぐのが好きな村人たちのユーモアあふれる逸話で始まるのだが、キプロス紛争が始まると、彼はいろいろな立場からその経過を目の当たりすることになった。テロリストが人々の生活を脅かす。ついには彼の親しいキプロス人が殺される。前日、キャラブの木の下でワインを飲み交わした友だったのに。ダレルも政府の任期を残してキプロスを離れざるを得なくなる。
この春、ついに私はキプロスとマルタに行くことにした。この旅が内省へと私をいざなうとは思えないが、珍しい物を見、おいしい物を食べられればそれで良い。
去年インドの空港で買った、手漉きの紙のノートを持参。100頁ある。どんな絵でこのノートは埋まるのだろう。
ドバイ経由のエミレーツ航空でキプロスのラルナカ空港着。
ニコシア
初日にグリーンラインを見た。これは北部のトルコ系住民と南部のギリシャ系住民とを分ける国境のようなものだ。そこに検問所がある。北部のトルコ系の住民は南部に入ることを許されない。こうして何とか平和の均衡が保たれている。ダレルの住んだ家は北にあり、今は彼が住んだというプラックが掲げられているそうだ。
紛争の爪痕はビザンチン美術館でも見ることが出来た。北と南にキプロスが分断された時、ギリシャ人たちは、何はともあれ自分の家のイコンを抱えて避難したそうだ。イコンを抱えた逃避行の写真が陳列されており、人々の信仰心の厚さを物語っている。
トロードス
キプロス中央部には標高1951メートルのオリンポス山があり、その一帯は山岳地帯だ。 海に囲まれたキプロスは、常に海から攻めてくる侵略者を意識して身を守る手段を考えなければならなかった。キプロス紛争の起きたのは1950年代だが、それより1000年も前、いやもっと前からキプロス人は海賊を恐れて生きていたのだ。人々は、高いところに避難し、この山岳地帯にはいまだに中世の面影を留めた教会がいくつも存在し、ユネスコの世界遺産になっている。
トロードス地方に行く道は「いろは坂」のように曲がりくねっている。途中の森の中で、白い清楚な花が咲いている木を見た。ワイルド・チェリーだという。私にとっては、今年の初お花見になった。
標高が高くなっていくに連れ、霧が出て、去年の雪が残る冬山の様相を示した。
そうして到着したのが、キッコー修道院。色鮮やかなモザイクで覆われている。元は11世紀に建てられたとのことだが、今の建物は再建されたもの。
その後、聖ニコラウス教会、アシヌ教会、ポディトウ教会と回る。どこも、山間部の人里離れた教会である。
これらの教会のうち、わたしの印象に強く残ったのは最後のポディトウ教会だ。
鞘堂にすっぽり入っている教会の、半円状ドームのフレスコは聖母子と両脇からお辞儀する天使。まるで描かれたばかりのように損傷もなく瑞々しい色合を保っている。天使のピンクの衣装の美しいこと!
ところが教会の元の姿の写真を見ると愕然とする。崩壊寸前だ。この廃屋に、かくも美しいフレスコ画があるなんて、誰が想像し得ただろうか。まるで奇跡だ。
このポティドウ教会に至るまでの道には、ひなげしの花が咲き乱れていた。その後、どこへ行ってもひなげしの大歓待を受けることになる。
ぺトラ・トウ・ロミウ海岸――アフロディーテの生まれた海岸
キプロスは、ヴィナス(アフロディーテ)の故郷。海はおだやかで、ボッティチェリのヴィナスの誕生の舞台としては絶好の場所だ。その海岸は、美しい白い石で覆われている。恋人たちはハート型の石を探してお守りにするとか。私も探してみたが、見つからなかった。
ヒロキティア
ラルナカから南西32キロのところに、紀元前7000年ごろの住居跡が残っている。行く途中の道にも、ポピーがいっぱい咲いている。全部こちらを向いて。
学校の先生だったら、理想的な生徒たちだ。一人として横を向いたり、よそ見したりしない。横からとか、後ろからとかのポピーの写真を撮りたいと思うが、できない。
どうして? 私を歓迎するため?
まっさーかー!
そしてようやくわかったこと。
ポピーは日の当たる斜面に生えているのだ。だから必然的にこちらの方を向くことになる。
なーんだ、そんなことか、とわかってからも「歓迎案」が捨てきれない。
キプロスの ひなげし我を 見て笑う
飛行機の中で
マルタの観光を終え、日本への帰りの乗り継ぎ便に乗った時、わたしの並びの窓際の席に、若い女性が座っていた。キプロス人だと言う。彼女の名はジョージア。私が訪ねた、トロードスのキッコー修道院のそばの村の出身だとか。あそこのひなげし、きれいだったわ、と話すと、今だけきれいで、夏になれば全部枯れてしまうの、黄色いのもたまにあるのよ、とか、お母さんはとても信仰心が厚いから、今のこの時期2か月くらい肉も魚も食べないの、とか教えてくれる。
少しおしゃべりした後、あなたが映画を見ている間、横顔を描いてもいい?と聞くと了承してくれた。実はダイアリーの最後の1ページが空白だった。
私のデッサンで彼女の魅力が伝えられるといいのだが。彼女の面立ちは、ボッティチェリの描くヴィナスを彷彿とさせる。ひなげしもヴィナスも、ギリシャとトルコの対立なんかよそに、美の具現者として太古から存在して今に続いているのだ。この美しい海とひなげしの草原、宗教心の厚い人々に、残虐な紛争は似合わない。
ジョージアはヴィナスでありながら、草原のひなげしでもある。ダイアリーの最後の1ページは図らずも、キプロスの美を象徴する女性の絵になった。