

オデュッセイア(本)とオデュッセイア(映画)で二倍楽しむ+「りんけい」の蝋の謎
Mimi 2026.09.25
筑波大学の睡眠の研究者、柳沢正史教授がラスカー賞を受賞されたというおめでたいニュース。この賞はノーベル賞の登竜門とのこと。俄かに時代の寵児となった柳沢教授が、睡眠の仕組みをわかりやすく解説なさるのを見て、睡眠や夢について思いを巡らせた。
さて、何でそんな話題を冒頭に持って来たかと言えば、ホメロスが描く英雄叙事詩に描かれる壮大な夢を、普通の人がレム睡眠で見ることはあり得ない、と思ったからだ。
実は、オデュッセイアを持っている。一本。薔薇好きならお分かりだが、木村卓功氏が2013年に作出した濃い赤の薔薇で、花色、香り共に素晴らしい。木村氏はオデュッセウスの妻のペネロッペイアという薔薇も作出している。
だが、私の、文学のオデュッセイアに関する知識は断片的で、ギリシャ神話と混然一体となってしまっていた。翌日クリストファー・ノーラン監督の映画を見に行く前にホメロスの原作を読もう。
夕食後ベッドでオーディブルのオデュッセイア上巻を聴きはじめた。録音時間は、全11時間48分。いつ眠っても良いように、タイマーを設定。先の柳沢教授曰く、眠っている間も耳は聴いていて、脳が休まらない。タイマー必須。その教えを守ってタイマーをかけたのだ。
ところが、である、わくわく、ドキドキ、先が知りたい気持ちがはやって、1時間ごとタイマーを更新して聴き終えた時には、外が明るかった。なんと徹夜したのだ。お蔭で、私なりの「オデュッセイア」が茫漠とだが、脳裏に構築された。
日比谷のトーホーシネマズのIMAXシアターは、平日なのに満員だった。
一緒の百合子さんに、「ホメロスの原作を読んで完徹しちゃったのよ。」と話すと、彼女は「私はいつもぶっつけ本番よ」とケロッと言う。それぞれのスタンスで映画を見るのも良い。
さて、映画が始まった途端、私は、デジャビュのような感覚に襲われた。私が本から想像した世界がそのまま大きな画面に広がっているのだ。普段なら、容認できない事、例えば、登場人物全員が英語を話すこと、顔や人体的特徴もギリシャっぽくないことなども、なぜかすんなり受け入れられた。ヘレナを演じた女優も意外だったが、納得できた。「言葉」の奥にある真実の「メッセージ」が伝わった気がしたのだ。
おまけに、IMAXの迫力と言ったら!音の振動でシートの手すりがぶるぶる震え、臨場感に充ちていた。
とにかく20年の長きに渡り、家を不在にした父のオデュッセウスの冒険譚であると同時に、待ち続けた妻、そして父を慕う息子、テレマコスの物語でもある。原作同様、妻子が初めに登場することで、オデュッセウス帰還後の家族の絆がより真実味を帯びる。神と人とが共存していた時代の出来事なのに、現代の我々の気持ちを鷲掴みにする構成。
ノーラン監督は、CGをなるべく使わないで撮影する手法だという。やはり、ホンモノのセットを使って撮影するのは、重みが違うと感じた。海岸に半ば埋まったトロイの木馬をよいしょ、よいしょと引っ張るところなど、俳優さんたちが演技を越えて頑張っている。
勿論映画と原作と異なっているところもある。その中で残念だったのは、セイレーンの島に向かう時のことだ。魔の歌声に惑わされて難破しないよう、オデュッセウスは、自分を船のマストに縛り付けるように乗組員に命ずる。その前に乗組員には、耳を塞ぐ算段をする。原作では、「りんけい」の蝋を取り出して、鋭利なナイフで細かく切り刻み、それを逞しい手で押して捏ねる。太陽の神の力も借りると、蝋は熱く柔らかになる。それを部下全員の耳に彼自身で貼り付けたのだ。乗組員が歌を聴かないようにするために。
なにせ私は、文字を読まずに聴いているので、「りんけい」が謎だった。鱗茎?あり得ない。それとも、ドーナツ型の蝋のこと?これは、映画を見て解決できると、楽しみにしていた。さて映画のその場面、すでに柔らかくできあがった蝋が器に入っていて、それを乗組員が手回しして、各自、耳を塞ぐのだ。「りんけい」の謎は残された。
オデュッセウスが部下ひとりひとりの耳に蝋を貼り付けるところを見たかったなあ。オデュッセウスはかなりの策士だ。トロイの馬を考案したのはオデュッセウスである。だが、動物にせよ人間にせよ、相手に弓を引く際には、弦を鳴らし、不意打ちをしない度量もある。ポセイドンの怒りを受け、乗組員が皆殺しという託宣を受けても、運命に逆らってやるぞと吠える思いやり。手ずから蝋を貼り付ければ、部下思いの一面がより鮮明になっただろうに。
結局、映画を見終わってから調べたら、「りんけい」は「輪形」で、丸い形の蜜蝋を、削ってから練り溶かしたのだった。
家に帰ってベランダに出ると、うちのオデュッセイアの蕾が。小さな赤い花に、壮大な歴史ロマンが重なって見えた。
さて、何でそんな話題を冒頭に持って来たかと言えば、ホメロスが描く英雄叙事詩に描かれる壮大な夢を、普通の人がレム睡眠で見ることはあり得ない、と思ったからだ。
実は、オデュッセイアを持っている。一本。薔薇好きならお分かりだが、木村卓功氏が2013年に作出した濃い赤の薔薇で、花色、香り共に素晴らしい。木村氏はオデュッセウスの妻のペネロッペイアという薔薇も作出している。

赤いバラの花
だが、私の、文学のオデュッセイアに関する知識は断片的で、ギリシャ神話と混然一体となってしまっていた。翌日クリストファー・ノーラン監督の映画を見に行く前にホメロスの原作を読もう。

オーディブルの画面
夕食後ベッドでオーディブルのオデュッセイア上巻を聴きはじめた。録音時間は、全11時間48分。いつ眠っても良いように、タイマーを設定。先の柳沢教授曰く、眠っている間も耳は聴いていて、脳が休まらない。タイマー必須。その教えを守ってタイマーをかけたのだ。
ところが、である、わくわく、ドキドキ、先が知りたい気持ちがはやって、1時間ごとタイマーを更新して聴き終えた時には、外が明るかった。なんと徹夜したのだ。お蔭で、私なりの「オデュッセイア」が茫漠とだが、脳裏に構築された。






日比谷のトーホーシネマは、オデュッセイアで埋め尽くされている
日比谷のトーホーシネマズのIMAXシアターは、平日なのに満員だった。
一緒の百合子さんに、「ホメロスの原作を読んで完徹しちゃったのよ。」と話すと、彼女は「私はいつもぶっつけ本番よ」とケロッと言う。それぞれのスタンスで映画を見るのも良い。

さて、映画が始まった途端、私は、デジャビュのような感覚に襲われた。私が本から想像した世界がそのまま大きな画面に広がっているのだ。普段なら、容認できない事、例えば、登場人物全員が英語を話すこと、顔や人体的特徴もギリシャっぽくないことなども、なぜかすんなり受け入れられた。ヘレナを演じた女優も意外だったが、納得できた。「言葉」の奥にある真実の「メッセージ」が伝わった気がしたのだ。
おまけに、IMAXの迫力と言ったら!音の振動でシートの手すりがぶるぶる震え、臨場感に充ちていた。
とにかく20年の長きに渡り、家を不在にした父のオデュッセウスの冒険譚であると同時に、待ち続けた妻、そして父を慕う息子、テレマコスの物語でもある。原作同様、妻子が初めに登場することで、オデュッセウス帰還後の家族の絆がより真実味を帯びる。神と人とが共存していた時代の出来事なのに、現代の我々の気持ちを鷲掴みにする構成。
ノーラン監督は、CGをなるべく使わないで撮影する手法だという。やはり、ホンモノのセットを使って撮影するのは、重みが違うと感じた。海岸に半ば埋まったトロイの木馬をよいしょ、よいしょと引っ張るところなど、俳優さんたちが演技を越えて頑張っている。
勿論映画と原作と異なっているところもある。その中で残念だったのは、セイレーンの島に向かう時のことだ。魔の歌声に惑わされて難破しないよう、オデュッセウスは、自分を船のマストに縛り付けるように乗組員に命ずる。その前に乗組員には、耳を塞ぐ算段をする。原作では、「りんけい」の蝋を取り出して、鋭利なナイフで細かく切り刻み、それを逞しい手で押して捏ねる。太陽の神の力も借りると、蝋は熱く柔らかになる。それを部下全員の耳に彼自身で貼り付けたのだ。乗組員が歌を聴かないようにするために。
なにせ私は、文字を読まずに聴いているので、「りんけい」が謎だった。鱗茎?あり得ない。それとも、ドーナツ型の蝋のこと?これは、映画を見て解決できると、楽しみにしていた。さて映画のその場面、すでに柔らかくできあがった蝋が器に入っていて、それを乗組員が手回しして、各自、耳を塞ぐのだ。「りんけい」の謎は残された。
オデュッセウスが部下ひとりひとりの耳に蝋を貼り付けるところを見たかったなあ。オデュッセウスはかなりの策士だ。トロイの馬を考案したのはオデュッセウスである。だが、動物にせよ人間にせよ、相手に弓を引く際には、弦を鳴らし、不意打ちをしない度量もある。ポセイドンの怒りを受け、乗組員が皆殺しという託宣を受けても、運命に逆らってやるぞと吠える思いやり。手ずから蝋を貼り付ければ、部下思いの一面がより鮮明になっただろうに。
結局、映画を見終わってから調べたら、「りんけい」は「輪形」で、丸い形の蜜蝋を、削ってから練り溶かしたのだった。
家に帰ってベランダに出ると、うちのオデュッセイアの蕾が。小さな赤い花に、壮大な歴史ロマンが重なって見えた。

オデュッセイアが一輪


