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私の人生の分岐点〜アメリカ・ニューヨーク〜

ROSSO 2020.09.18

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生きていれば幾度となく訪れる「人生の分岐点(ターニングポイント)」。分岐点とは、自分自身で選択することや決断することだけでなく、時として旅行先や偶然立ち寄った場所で訪れる場合がある。

私はそんな経験を幾度となく経験してきた。今回は、私の人生の分岐点に挙げられる「アメリカ・ニューヨーク」での経験についてお伝えしたい。



アメリカ・ニューヨークといえば、「きらびやかな摩天楼」をはじめ、「世界有数の金融街」、「最先端が集う都市」など、東京のような華やかなイメージを持つ人も多いだろう。私も幼少期から洋画や洋楽を通じて、アメリカ・ニューヨークには「エキサイティング」や「一攫千金」など、派手なイメージが定着していた。



そんなニューヨークに初めて降り立ったのは大学2年の夏である。その時に感じたニューヨークは、夢や希望、刺激に満ちていた。耳に入ってくる見慣れないことばや、さまざまなバックグラウンドを持った人々が行き交う街が新鮮だった印象を今でも覚えている。



しかし、今でも忘れないのは、最初に経験したニューヨークでの会話である。

私は近くのコーヒーショップに立ち寄り、コーヒーとパン(正確にはハンバーガー)を注文した。しかし、何度店員に話しても通じず、挙げ句の果てに出てきたものは紅茶とサラダであった。

その時、「こんなに日本で習った発音は通じないのか……」と思ったのと同時に、自身の語学力の低さや、コミュニケーションの取れなさに愕然とした。私はこのお店に何度も通い、毎回自身が食べたいものとは違う商品を出されて、毎回何が悪いのかを模索していた。



そこである日、私は一人の男性から声をかけられた。しかも、慣れ親しんだ日本語である。その方は、「毎回君が拙い英語を駆使して、伝わらずに苦悩しているのを見ていた。何度も見るうちに、若い頃自分がニューヨークに来た時のことを思い出し、声をかけてみようと思った。」と言うのだ。私は日本とアメリカの英語の発音の違いや、相手が聞き取りやすい会話術を習い、結果的には自分が欲しいパンとコーヒーを手に入れることができたのだ。



ここまでは旅行先での一コマであり、私自身の海外旅行での単なる失敗体験である。ここから先が、この旅行が私の人生の分岐点になる体験である。後日、私はこの方にご招待頂き、一緒に食事をすることになったのだ。



しかも、あとになってわかったことなのだが、その食事やお茶をしたところが、ニューヨークの中でもラグジュアリーホテルに分類され、格調高く洗練されたイメージを持つ「ザ・ウォルドーフ・アストリア・ニューヨーク」だったのだ。



このときは、老舗ホテルのみの印象しか持っておらず、「さすがアメリカ・ニューヨーク!本場のホテルはやっぱり違う……」といった、庶民的であり学生レベルの考え方しか持てなかった。今になってあのときの経験は、私の価値観や感覚を変えてくれた分岐点であったと確信している。
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