私のルーティンを通して感じていること

ROSSO 2020.07.29
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近年、私は仕事として「社会問題」について考察を深めることにより多くの時間を割いている。
それはなぜか?

これまで多くの国では、資本主義やグローバル化がベースとなって価値観が構築され、それに伴う形で国及び企業は成長を続けてきた。事実、私も資本主義やグローバル化に倣って進学や就職先を決断したり、いかに自身の財力が最大化されるかを念頭におきながら行動を決定したりしてきた。

しかし、資本主義の波に乗ることができれば資産が拡大する一方、そのプロセスから脱落してしまうと貧困になる確率が高まる「貧富の差」が年々拡大していることも見過ごすことができない問題であると感じたからである。

そこで、私は「寄付」を通じて、微力ながら社会問題と向き合うことにしたのだ。

私は毎年一つの社会問題を課題として捉え、「その問題がどういうものなのか?」「現状の課題は何か?」「実際にできることは何か?」など、あらゆる観点からその問題を紐解き、最終的に合理的かつ意欲的に課題解決を図るべく行動している団体に一定額を寄付するようにしている。

では、なぜこれほどまでに寄付に意欲的になるのか? 私が初めて寄付を決断したある社会問題が根底にある。それは、動物の殺処分問題であった。



私はこれまでに犬を2回飼ったことがあるのだが、そのどちらもがペットショップから購入したものである。このときは、犬を飼えるという高揚感や嬉しさから、ペットショップで購入することになんの抵抗もなかった。

しかし、寄付を行うにあたり、私は動物の殺処分が日本でも当たり前に行われている現実を知った。しかも、毎年大量の動物が人間の構築した経済システムや自分勝手な都合から、窒息死や安楽死と呼ばれる方法で殺処分されていることを知り、自分も含め憤りが隠せなかったことを今でも覚えている。

それ以来、私は定期的に保健所に殺処分の見学をしに行ったり、譲渡会を行う団体の活動をサポートしたり、著名人が働きかける講演に足を運んだりするなど、寄付だけではなく精力的にこの問題に関わるようにしている。

ところが、この問題に深く関わる中で感じたことは、寄付だけでは何も変わらないという現実なのだ。



確かに、目を背けたり活動しなかったりするよりも、寄付したり積極的に問題に介入したりすることが望ましい。しかし、長く付き合うほどこの現実が常態化してしまい、感覚が少々おかしくなってしまうのではないかとも感じたほどである。

この問題以外にも、私はこれまでに直面したことがなかった悲惨な現場や出来事に数多く遭遇してきた。また、NPOや関連団体で働く人と会話をする中で、このような活動が世間から乖離されている事実も知ることができた。

フランス語で「ノブレス・オブリージュ」(Noblesse oblige)は、直訳すると財力や権力など社会的地位を有する者は、それに応じて果たさなければならない社会的責任と義務があると言う道徳観を示す言葉である。この言葉にあるように、私も現在の地位が与えられたことに感謝し、自分ができる社会貢献活動や富の再分配(正しい使い方か定かではないが)を行い、少しでも多くの人の役に立てるよう努力しようと思う毎日である。
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