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私が今でも手書きでノートに物事を書き留める習慣をやめない理由

ROSSO 2020.06.26

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私は、これまで約12年にわたって、その日に起こった出来事や、思いついたアイデアをノートに書き留めることを習慣にしてきた。知識や語彙力の無さに愕然として、記憶を留めるため・欠落した部分を忘れないようにするために書き始めたのがきっかけである。


今では、ノートに書き留めることも板に付いてきたのか、同年代と比較しても、知識量や語彙力で遜色ないほどに成長することができた。

技術が進歩しノートに書き留めることが不要になった今でも、従来のやり方を貫いている。なぜなら、このノートは私の礎であり、さまざまな記憶や想いを喚起する重要な役目を担っているからである。

このノート群には、気になったニュースや知らない単語や言葉、思いついたビジネスアイデア、そのときに思った感情の言語化など、体裁関係なく多く文字が記されている。

今読み返すと、他人ではなんて書いてあるかさえわからないページや、若かりし頃のエピソードが恥ずかしげもなく記されているページもある。人として忘れてはいけない心理や経験したがゆえに学んだこと、脳裏にしっかり焼き付けておきたい教訓なども記載されている。

生涯これらのノートを読むのは私個人だけであり、写真などの媒体に匹敵するほど大切なものになっている。


なぜ誰も読まないノートにこれだけの熱量や重要性を感じているかと言うと、それは現在の環境がある。
近年スマートフォンの進歩により、他人のライフスタイルやビジネスアイデア、リアルタイムなニュースをどこにいても知ることができる。その上、財布や新聞、テレビの代替まで可能であるため、衣食住さえ整備されていれば、あとはスマートフォンがあればなんでもすることが可能だ。


その一方で、スマートフォンへの依存度が高くなると、これまで当たり前だったことが希薄になる。対面式のコミュニケーションや表現方法、他人の尊重などだ。現在、これらの能力の在り方も見直されつつあるが、対面式を当たり前としていた筆者からすると幾分悲しい話である。

技術が進歩したことで私たちの生活は豊かになり、誰でもチャンスを得やすい環境こそ整ったものの、それに比例して生きることに疲弊するスピードや発言・発信することに対する重み、他者を重んじる心がどこか軽視されているのではないかと感じている。


これも、知識量や語彙力、情報を取捨選択する能力が欠けているからこそ生じる問題だと考える。そう考えるからこそ物事を書き留めたり日々自問自答したり、過去の反省を省みることができるノートは大切なのだ。

そうすることで、他者との間に生じる軋轢やトラブルを軽減できる。また知識量や語彙力をつけることで、対面・ネット関係なく、どんな場面でも有効なコミュニケーションを取ることが可能になるだろう。

私は、これからも物事を書き留める習慣を継続していきたい。

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