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私の「プライド」と、「成功」に対する考え方

ROSSO 2020.06.26

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今回は私自らが考える自分自身の「プライド」についてお話していきたい。
私と言う人間は、どの成功者たちよりも確立したプライドがないのである。


では、なぜこのように考えているのか?それは、私が考える「成功」の定義に理由がある。
広辞苑によると、成功とは「①目的を達成すること(事業などをなりとげること)、②転じて地位や富を得ること(及び事業等が成就した功績)。」のことを指す。
この文面だけをみれば、私自身も「成功」という定義に該当するかもしれない。


しかし、私の考える成功には、「目標を達成したか」という要素にプラスして、「現在の状況が(過去に)予測できていたか」や「自分の信念を最後まで貫けるか」と言った点が含まれる。

例えば、ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)やジェフ・ベゾス(Amazon創業者)、イーロン・マスク(テスラ社CEO/スペースX創業)といった名だたる起業家たちは、起ち上げ当初から新市場やビジネスに対して先見の明があり、早くからビジネスモデルや投資スタイルを確立させている。そのため、行動や考え方が首尾一貫しており、得るリターンも大きい。

そして、何より大切なのが「自分の信念を最後まで貫けるか」である。ビジネスの形態や主流が刻々と変化する市場では、長期にわたってシェアを獲得したり、ビジネスモデルを継続したりすることは難しい。しかも、それが過去のスタイルであればなおさらだ。

しかし、先ほど紹介した企業では、創業者の理念や信念が確立していることからビジネスや投資が的確であり市場のニーズを汲み取れるため、時代の変化に応じて適切にビジネスモデルを変化させている。
ここまでの一連の流れが完遂できて、初めて「成功」と呼べるのではないかと思っている。


現在では、このような意見は少数派で、特に国内ではスモールモデルの起業家や経営者が多く、「成功」に対する定義も低くなっているように感じる。

そのため、巷では成功(成功者)を謳った番組や書籍、セミナーが乱立しており、どれもありきたりな成功体験に終始するか、その人のオリジナリティ溢れるものになっている。これに賛否があるわけではないが、何か悲しい気持ちになるのは私だけだろうか。


話を元に戻そう。私のプライドの無さ(低さ)はこの成功体験のレベルにある。私のこれまでの成功体験は、確立したビジネスモデルや投資手法などから生み出された実力ではなく、あくまでも運や偶然といった不確実な要素の産物だと考えている。

世間ではこれも含めて「実力」や「才能」と言ったりするが、私はあくまでも不確実な要素は不確実に過ぎないと定義している。

また、これまでの結果も平凡である。先人たちが切り開いた道をただ歩いているに過ぎず、誰の生活様式を変化させたわけでもなければ、技術を用いてスタンダードを確立させたわけでもない。

ただ、他人と比較して財力があることや経験値が高い点が評価されただけだ。そのため、私は一向に成功していないし、今も成功したいと言うプライドを持って、世間に抗って行動しているのだ。
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