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日本の富裕層ビジネス メーカーズ編

NEWS BLOG 2019.03.25

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富裕層は職人文化を
リスペクトしている


  「日本の富裕層ビジネス」と題し、連続で書いていますが、3回目はメーカー=モノづくりについて考えたいと思います。 富裕層に向けたインタビューを続けていて気づくことは、これは世界共通だと思いますが、富裕層には職人文化に対するリスペクトがあるということです。

  そしてラグジュアリーと言われるものはたいてい、その国や地域の職人文化を体現しているものです。たとえば今回NOBLE STATEのアンバサダーでブログを書いていただいているYOUさん(20代・起業家、飲食店などを経営されています)。この方は、日本の山で育った広葉樹を使って日本の職人が作る一枚板のテーブルやチェアに惹かれています。同じく20代起業家のROSSOさんは、イタリアの職人文化が凝縮されたような車、フェラーリに惚れ込み、日常使いする。

  皆さんそれぞれに、その職人文化の醸し出す「におい」にはこだわりがあって、そのにおいに近い職人文化にお金を投じている。それは必ずしもメイド・イン・ジャパンではなく、むしろROSSOさんのフェラーリのように、どちらかというと「舶来モノ」、それもメイド・イン・西ヨーロッパ(たいていイタリアまたはフランス)のものが多いようです。

  そう、今回日本の富裕層ビジネスのものづくりについて考えていて、はたと気づいたのは、日本には、たとえば車でいうフェラーリのような、ラグジュアリー専業メーカー(富裕層御用達ブランド)が極めて少ないということです。

  もちろん車ならば日本にはLEXUSがあります。富裕層の3種の神器のひとつ、プライベートジェットでも、昨年来話題のホンダジェットがあります。時計であれば、世界のSEIKOのジュエリーウォッチブランドであるクレドールは同社の時計職人と金沢の蒔絵職人の技を融合させたトゥールビヨン「FUGAKU )」(5000万円)をつくっているし、GRAND SEIKOも富裕層御用達ブランドでしょ? そう言われるかもしれません。

  それはそうなのですが、レクサスは世界のTOYOTAがつくったブランドであり、アメリカからスタートし、日本に拡げるという経緯をたどっていますし、ホンダジェットも世界のHONDAがジェット機ビジネスをアメリカでスタートし、日本にローンチ。いずれも世界ブランドが別ブランドとして、海外でスタートしているのです。クレドールも世界のSEIKOブランドの中のジュエリー・ウォッチブランドという位置づけである点で同様です。

熱狂を生む
日本発スモールラグジュアリー


  つまり、車で言うフェラーリのように、最初から一部の熱狂的な富裕層顧客だけを相手にして、生産数も限られ、それ故に熱狂する顧客のあいだに飢餓感を生み出すような、スモールラグジュアリー企業が少ないのです。 

  なぜそうなのだろうかと、いろいろ考えて思うに、メイド・イン・西ヨーロッパのラグジュアリー=富裕層ご用達ブランドは王侯貴族を支えた職人文化がそのまま現在に続いている。これに対して日本の場合、江戸時代まで続いた職人文化は明治期の近代化・西洋化によっていったんリセットされています。

  着物を洋服に着替え、髷を切ってザンバラ髪に。行灯は電灯に。紙と木の家は石造りの西洋建築に。駕篭かきは馬車、そして自動車に変え・・・。そこでラグジュアリーを支えてきた、富裕層のための職人文化がいったん途絶えているのです。

  そんな中で例外的に、富裕層向け専門で立ち上げた日本のスモールラグジュアリーなメーカーのひとつに、バスタブメーカーのJAXSON (現LIXILグループ)があります。創業者の清水秀男氏は家具のalfrexでイタリアンデザインの洗礼を受け、ミラノに留学。バスタブづくりを学び、世界のラグジュアリーな空間に似合うバスタブを自らがデザイナーとして世に送り出してきた方です。

  海外のステイ先で、たとえばリッツ・カールトンなどに宿泊して、はじめてJAXSONのバスタブに接している方は多いと思います。出会った方は誰もそれをメイド・イン・ジャパンとは思わないかもしれません。それくらい、グローバルな富裕層向けラグジュアリー空間にはピタリとはまっていて、しかもあまりコテコテにメイド・イン・ジャパンの空気を発していません。

  ではなぜJAXSONはグローバルなマスマーケットから富裕層マーケットという経緯を辿らずに、いきなり世界の富裕層市場に受け入れられたのか。 以前にこのニュースブログで紹介した「BRICSのラグジュアリー、日本のラグジュアリー」の中で、ラグジュアリーの成功要因に、「その国の歴史の中でもっともグラマラスな時代のイメージを打ち出す」という話を書いたことがあります。

  このときも、では日本でいうと、そのグラマラスな時代とはいつなのだろうと考え、おそらく最も古くは平安の王朝人を支えた頃と想定しました。

デジタル時代に
歴史のアーカイブとつながる


  JAXSONの清水氏はミラノに留学したものの、彼の地のインテリアデザインの歴史の厚みにすっかり打ちのめされて、いったん日本に帰国。そして日本伝統の入浴文化を見つめ直すため、じっくりと湯船に浸かりながらその愉悦に浸り、JAXSONバスタブの着想を得たそうです。

  このときのイメージの源泉となったのが平安王朝人の入浴であったのかどうかは、わかりません。が、入浴という文化は日本では平安時代に始まったと言われています。そして、その時代のアーリーアダプターは当時の超富裕層であった王朝人。そう考えれば、清水氏は、日本で明治以降いったん断絶し、失われた、職人文化の時間の間隙を、埋め合わせ、それを乗り越えていきなりグローバルラグジュアリーに打って出るためのデザインイメージを、王朝人の入浴を支える古の職人文化の中に見出したのではないかと思うのです。

  一見すると日本ぽくないデザインのスパですが、清水氏がイタリアで学んだデザインが、お風呂好きで入浴文化の長い歴史の蓄積をもつ日本人のDNAアーカイブとつながり、入浴の快適さ、ラグジュアリー感を追求した結果、いきなり世界の富裕層に通じるものが生まれたのだろうと思います。

   このつながるという感覚は、現代のデジタル時代にとても重要だと思っています。ラグジュアリーは職人文化で、職人文化は手作り。アナログの最たるものと思われがちですが、最近は様相がかわってきています。富裕層インタビューをした中でも「消費の大半をAppleに捧げている」という方がいます。その方はiBooksで本を買い、iTunesで音楽を買い、AplleTVでテレビを観て、と気づいたらApple経済圏の人になっており、おまけにパソコンもMacに変えていたというのです。

   現代は富裕層も、自分でその自覚はなくとも「アルゴリズム文化」の中に飲み込まれており、特にiPhoneが登場した2007年頃から、ラグジュアリーなものづくりにTECHの要素が入ってきています。

   TECHのラグジュアリーといえば奇しくも、そのiPhoneに駆逐されるかたちで今は失速してしまった、VERTUという、NOKIAが富裕層向けにつくったジュエリーのような超高級携帯電話がありました(現在中国で一部販売されているようです)。そのVERTUの開発者で代表者の方にイギリス本社のオフィスでインタビューをしたことがあります。

   「機能が優先の携帯電話の世界で、富裕層向けでラグジュアリーな携帯という着想をどうやって得たのですか?」 この質問に彼はこう応えました。
「その日は休日で、私はビバリーヒルズの自宅プールで泳いでいました。プールから上がり、そしてプールサイドのテーブルに置いてあった自分がデザインしたNOKIAの携帯電話と、横にはずして置いていたカルティエの腕時計を何気なく見比べていたんです。そして愕然としました。このラグジュアリーで上質な質感をもつ腕時計を着けた人が持つ携帯は、このプラスティック製筐体の携帯電話であっては絶対にならない! その時、そう確信したのです」。
それからNOKIAのベンチャーとしてVERTUは始まりました。

コトづくりの要素を
アルゴリズムに組み込む


   以前、富裕層インタビューをした方の中で、このVERTUの携帯を持っている方がいました。ロシアによく行かれるそうで、いまロシアの高級ホテルではみんなこれを持っている。なんでわかるかというと着信音がロンドンフィルの演奏を音源としていて独特の美しいメロディ。だから、あ、あいつも持ってるなってなるといいます。

  VERTUはハードウェアメーカーとして筐体の質感をカルティエの腕時計のようなラグジュアリーなものにするだけでなく、着信音=音楽というソフトウェアもラグジュアリー系のロンドンフィルでブランディングしていたのです。

   VERTUは残念ながら失速してしまいましたが、メイド・イン・ジャパンの富裕層向けブランドを考える上で、このことはとても重要だと思います。つまり現代のものづくりはモノづくりにとどまらず、コトづくりでもある。ということです。

   以前富裕層にとって香りがますます重要になってきているというブログの中で、五感の中で香りの重要性を書いたのですが、音=音楽もまた、富裕層の心を動かすラグジュアリーなブランディングに有効であるということ。特にデジタル体験の中にラグジュアリーが、どんどん飲み込まれている現代では、デジタルの中に富裕層に刺さる、彼らだけの「しるし」となるサウンドやビジュアルを仕込むことはとても重要と思います。

   一旦途絶えた日本の職人文化のルーツを求めて、それをコトに落とし込んでデジタルの世界に載せてゆくこと。そのヒントはラグジュアリーな体験を積んだ日本の、富裕層の心の深層に多く眠っていると思うのです。

cover photo:Takashi Hososhima “Taking a photo of Christmas tree” ※写真はイメージです。

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