私の原点「アメリカ・ニューヨーク」
ROSSO 2019.10.02
学生時代に、漠然と「経営者になりたい。」そう思い立ってから今年で12年もの月日が経過してしまった。この12年の中で、複数回にわたる会社設立(起業)、2度にわたるバイアウトを経験し、他業種への参入など、経営者としては一通りのことは経験してきたつもりである。
もちろん、この年月の中には辛いこともあった。会社経営がままならず資金がショートしかけたり、社員に給料が払えなかったり、会社のお金を持ち逃げされたり、家族や友人を失ったりと、今ではすべて自分が招いたことであると認識しているものの、その当時は理解に苦しみ、病気を患ったり、「いっそのこと……」と思い立った日も決して少なくはない。
今ではこうして過去の記憶としてここに記しているものの、私の成功の裏には途轍もなく辛く苦しい経験が積み重なっているのであるのだ。
そんな私にとって、今年2019年は節目の年である。紆余曲折さまざまなことを経験してきたが、今後のキャリアやライフプランを見つめ直す必要があると考えていた。
そのため、これまでとは違った角度から人生を見つめ直し、新たなライフプランを構築するために、今年の目標を「原点回帰」と位置付けて日々過ごしている。そして、これを機に私の原点・始まりの場所とも言えるニューヨークに行こうと決意した。
では、なぜニューヨークなのか?それは、学生時代に起業を志す中で初めて世界というものを視野に入れて、その空間を体感してみたいと思った時に思いついた場所であり、大学時代に最も憧れていた場所だったからである。
その時も、結局のところは憧れにとどまることはなく猛勉強の末に大学内審査をくぐり抜け、海外留学を勝ち取り実際に体感してきたことによって、より一層ニューヨークに対する想いは強くなった。この時の体験や記憶は今も色褪せることなく、私の脳裏にしっかりと焼き付いている。
こんな過去が私にあったからこそ、節目でもある年に改めてニューヨークへ行き、今の自分が「何を感じるか?」「学生時代の熱意は消えていないか?」「世界との差は縮まっているのか?」など、学生時代にノートに記した項目がどの程度クリアできているかを確かめる意味も込めてニューヨークへと向かったのだ。
はじめに向かったのが「タイムズスクエア」である。学生時代に行った際は、映画のワンシーンでよく見る構図だったこともそうだが、日本との差に圧倒され夢中でシャッターを押したことを今でも覚えている。
今でこそ仕事や旅行でもよくニューヨークを訪れるため、タイムズスクエア自体も身近な存在になってしまった。しかし、初めてニューヨークに来た時の自分に、「よくニューヨークを訪れる」といったフレーズを伝えれば、きっと度肝抜かれることだろう。
日々の旅行や仕事では、目の前のことに忙殺されるあまり一つひとつのことに対してありがたみや感謝、ニューヨークへ来た意味などは到底考えもしないが、思い出の地に「節目に訪れた」というだけで、自分の目に飛び込んでくるもの一つひとつが感慨深いものになるのが実に不思議である。
タイムズスクエアに次いで向かったのが「エンパイヤ・ステート・ビル」である。ここも学生時代の私には圧倒的な場所であった。
当時から映画や海外ドラマの影響で、建物自体の存在やニューヨークの摩天楼については知っていたものの、いざ自分の目で眼下に広がるニューヨークの街並みを見てしまうとことばを失った。
もちろん、これに匹敵する建物は日本にもある。そのため、同じような感想が口から出ると当初は思っていたが、それは愚の骨頂であった。
エンパイヤ・ステート・ビルは高さが300メートル以上であり、86階にある展望台は屋外であるにもかかわらず、ガラス一枚隔てて眼下に広がる景色を一望することができる。
当時の私はこんな高い建物に登ったこともなければ、その空間で風(突風)を感じつつ、「ここから飛んだら……」「この建物が崩れたら……」などと、生命の危険を感じながら景色を眺めたこともない。
そんな私にとって、エンパイヤ・ステート・ビルから見た景色は憧れそのものであり、「いつかまた成功したらここから景色を眺めたい」と思ったことを、今でも忘れないほど鮮明にあのときの色や匂い、風の強さを覚えている。
あれから10年ほどだろうか。それに匹敵する月日が経ってしまったが、あの時の思いを感じながら10年ぶりエンパイヤ・ステート・ビルの展望台の上に立った。その時に感じたことは、「大変だった」や「辛かった」、ましてや「楽しかった」でもなく、溢れる涙と同時に出たことばは「よくここまで頑張ってこれたな」の一言であった。
もっとかっこいいセリフや尖ったことばが出るのだろうと我ながらに期待していたが、そんなことばでは言い表せないほど率直なものだった。
今回の原点回帰に訪れたニューヨークの旅の話は、ここで終わりにしたい。もちろん、これ以降も多くの名所や思い出の地に足を運んだが、想いが溢れる余りこの中にはおさまりきらなかった。また機会があれば、ぜひ続編を記したいと思う。