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旅の始まりの5メートル

Mimi 2019.05.24

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 キプロス・マルタへの旅は、思わぬ収穫をもたらした。ある作曲家との出会いである。

 同じツアーに参加していた彼は、老紳士という言葉がぴったりで、ジャケットを常に着用し、控えめながらも、何か人をくつろがせるような雰囲気を持っていた。

 彼が自分は作曲家だと、そっと教えてくれたのは、旅の終盤、もう数日でお別れと言う時だった。私が、自分も音楽が好きでハープを4台持っていること。ピアノも長く習っていたなんていう話をしたことから、思わぬ交流が始まった。

 帰国してからCDを送ってくださった時には興味津々で、直ちに、わくわくしながらお気に入りのBang & Olufsenのプレイヤーにかけたのだった。そして、最初の一音が鳴った時から、わたしはmesmerized という英語の表現にぴったりな状態に陥ってしまった。音の精霊が空中に飛びまわり、わたしの中にある優しい気持ちが楽器のように奏でられるような感覚。

 作曲家の名前は小櫻秀爾氏。私が最初に聞いたのは、ピアノ組曲「生きている星」だ。 この曲は、11の小曲で成り立っていて、それぞれ、1.目覚め 2.愛を求め 3.追走 4.焦燥 5.愛を確かめ 6.乱舞 7.危険な遊び 8.友の死 9.楽しい思い出 10.悲しみを乗り越えて 11.あすへの希望というタイトルが付いている。

 一曲ごとに、テーマとなるイメージはガラリと変わるのだが、楽しいメロディも悲しいメロディも心地よい。

 聞いているうちに、いろいろな着想が起こり、それぞれの曲のイメージに合わせて11枚の絵を一気に描いてしまった。



 氏はピアノ曲だけでなく、サキソフォン・オーケストラ、マンドリン、クラリネット、尺八に箏、いろいろな楽器の作曲をされているが、作品も聞いていると、小櫻秀爾氏という作曲家の真髄が見えてくる。どの曲からもnature を感じるのだ。nature は、草原を吹き渡る風だったり、森の奥の静けさだったり、海の波だったりしながら、変幻自在に姿を変えて五感を刺激する。

 そして、この5月16日、小櫻氏は、ご自分の曲が演奏されるコンサートにご招待してくださった。第23回アンデパンダンと題された演奏会で、日本作曲家協議会の主催だ。



 8名の日本の作曲家の作品が発表される。なんと、このうち、小櫻氏ともう一人を除く6名の作曲家の作品が初演なのだ。こんな晴れがましい場に立ち会えるなんて、なんと幸運なことだろう。

 演奏が終わると、作曲者が舞台に上がり、拍手をあびるということが繰り返される。

 洋風な曲、現代音楽、いろいろなジャンルの曲が次々披露され、とうとう小櫻氏の「白骨の御文」(はっこつのおふみ)の番だ。

 現れたのは、美しい着物姿の女性。手には薩摩琵琶。それを垂直に持つと、大きな撥を、ある時はか細く、ある時は豪快に打ち鳴らしながら、歌を歌う。着物姿も、薩摩琵琶も、歌も、この音楽会では初めての登場だ。それだけでもインパクトがあるのに、その歌の内容は、心にずしんと来た。「白骨の御文」とは、蓮如が親鸞の教えをわかりやすく信者に伝える手紙である。

 下記は明福寺のHPからの引用。 

 第十六通 白骨の御文

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の 風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(引用終わり)

 薩摩琵琶の弾き謡いをされた久保田晶子氏の声は透明で朗朗としていて、古文なのに、難しさを感じさせずに理解でき、胸に刻まれていく。

 音楽会のプログラムには、原文の他に、解説もついていた。(以下抜粋)

人間のはかなさは、年老いたものが先に往き、若い者が後などという思いが通用しない境遇ですから、誰でも少しでも早く、これからどこへ向かって生きて行くのかという、人生のもっとも大切なことを心にかけて、(以下略)

それまでのんびりと音楽を楽しんでいた私にスイッチが入った。思いっきり生きなければ。

 音楽会の二日後、私は突然、自分でも驚くほどのスピードで絵を描き出した。描くのは巻紙。2時間後、5メートルの絵巻が完成。

 先に私は、小櫻氏のピアノ組曲「生きている星」を聞いて11枚の絵を描いたと書いたが、その5メートルは、最初の曲「目覚め」の部分を敷衍したもの。

 ストーリーは、こんな風だ。地中海、キプロスのそばに小さな三つの島がありました。一つの島には赤い花の咲く木、一つの島には青い花、もう一つの島には黄色い花の咲く木が生えていました。
そこへ西風の精が現れて、赤い花の咲く木にふーっと息を吹きかけました。するとどうでしょう。赤い花は赤い恐竜に変わって風に乗って飛んでいきました。タンポポの綿毛みたいに。西風の精が今度は青い花の木にふーっと息を吹きかけると、青い恐竜が飛んでいきました。そして次に黄色い花の木にふーっと息を吹きかけると、黄色い恐竜が飛び出して行ったのです。赤い恐竜、青い恐竜、黄色い恐竜は、キプロス島の上空に到着し、トロードス地方の真っ白な雪の上を飛び、それから静かに静かに雪の中に沈んでいきました。そして数か月後・・・・。
あらっ、そこに花が咲いた!ほら、ここにも、あそこにも。赤いポピーです。わあ、あたり一面は花の草原。春が来たのです。ところで恐竜たちはどこ?

 これは、私のサガの始まりである。この5メートルは最初の一歩だ。

「旅と言うものは、芸術家と同じで、生まれ出てくる物であり、作り出されるものではない。」ローレンス・ダレルの言葉が蘇る。キプロスに旅したのは、単なるきっかけに過ぎない。小櫻秀爾氏の作品に喚起されて、私の旅は、これから本当に始まるのだ。









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