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京都旅行での貴重な体験

YOU 2019.01.25

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 京都、宇治市の黄檗山萬福寺を探訪。そこで人生初めてとなる「普茶料理(ふちゃりょうり)」を頂いた。普茶料理とは、隠元禅師から伝わる300年以上続く伝統的な中国精進料理。胡麻豆腐を使った「麻腐(マフ)」や、から揚げが入った澄まし汁の「寿免(スメ)」、天ぷらのような「雲片(ウンペン)」など、中国文化を感じられる珍しい料理ばかりで、日本の精進料理とはまた違った味わいだ。





 度々京都を訪れているが、なかなかこのような過ごし方はしたことがなかった。大勢の人が行き交う東京とは異なり、ここは静かで、時間が止まったような不思議な感覚になる。そして、そんな静けさの中で頂く普茶料理は、より一層おいしく感じられ、旅の癒しとなった。

  普茶料理をいただいた後は、萬福寺をゆったり歩いてみることにした。萬福寺は江戸時代初期、中国から渡来した隠元禅師が開山した寺だけあり、日本の普通の仏教寺院とはまた異なる趣きだ。そして、何と言ってもその広さには驚かされる。

  地図を見た瞬間、「一番奥まで行くのに一体どのくらいかかるのだろう?」と考え込んでてしまうほど広い。そして、この場所がまだあまり知られていないせいなのか、歩いている観光客は本当に少なく、まさに知る人ぞ知る宇治の穴場スポットといえる。一度ゆっくりと京都を満喫したかった私にとっては、とてもラッキーなひとときであった。

  門をくぐり、まずその石畳の美しさに目を奪われる。その迫力と澄んだ空気は、俗に言えば「もの凄く御利益がありそう」な雰囲気である。







  重要文化財にも指定されている天王殿の伽藍(がらん)。日本式とはまた異なり、実に美しい。中央には御本尊が、まわりには十八羅漢像が安置されずらりと並んでいる。なかなかこの数の像を見る機会はないだろうな・・・と思うほどだ。羅漢像は一つひとつ表情が異なり、何かを読んでいる尊者や虎が前に置かれている尊者と、見ていて全く飽きなかった。清水寺や金閣寺とはまた異なる中国の歴史を感じることができる。そんな貴重な空間であった。

 



  また、この日は残念ながら見ることはできなかったが、萬福寺ではお経や儀式作法も中国式で行われており、お坊さんが身に纏う袈裟も赤や青、黄緑と実にカラフルだ。特に、中国語で歌うように読まれる梵唄(ぼんばい)は、非常に珍しい音楽的なお経で、四拍子に合わせ、太鼓を使い読まれる様は、圧巻だという。

  そして、萬福寺にある最も有名なものといえば、木で作られた魚「開板(かいぱん)」だ。三毒の「珠」をくわえた鯉の鳴り物で、その大きさと存在感は迫力がある。どうやら、この魚が現代の木魚の原型とされているそうだ。





  今回は普茶料理がメインと思っていたのだが、少し足を踏み入れて見ると本堂などを巡る時間もまたおもしろく、大変貴重な体験となった。

  その日の夜は、とあるホテルで開催されたパーティーに出席した。驚いたのは、開始と同時に登場した舞妓さんと芸妓さんである。普段、お茶屋へ訪れている方でさえも、その光景に非常に驚いていた。

  「まず、京都を代表する芸妓さんたちがこの会場に一斉に集まるのは本当に凄いことだよ」と私に教えてくれた。それもそのはず。なんと芸妓さん、舞妓さんが合わせて20名以上はそこに並んでいるのだ。中には、テレビ番組にも取り上げられていた有名な舞妓さんも招かれており、会場中から歓声が上がっていた。





  変なお話ではあるが、通常ひとりの舞妓さんをお座敷遊びに呼ぼうと思えば、それだけで数万はかかると言われている。その他にも、大勢の地方(じかた)さんやお花代、心付けなどすべて合わせると20万~30万ほどはかかる。しかも、会いたくても会えない“一見さんお断り”の世界なのだから、誰もが驚いて当然なのだ。

  20代でこんな経験ができた私は本当に幸せ者だ。もしかしたら、この数の芸妓さんや舞妓さんはこれで最後、一生に一度かもしれないとすら思えた。そんな目の前に突然ずらりと並んだ華々しい姿に本当に感動してしまった。一流のディナーを味わいながらワインや地酒を楽しみ、舞台に目を移すと一流の芸妓さんや舞妓さんの優美な演舞を拝見する。そんな時間をしばらく堪能した。

  舞が終わると、大勢の芸妓さんと舞妓さんがテーブルを周りお話しする時間となった。まさに初めての経験で少し緊張していた私であったが、話してみると品があるのに飾らない、とても話しやすい女性ばかりだった。

  舞妓さんは、まさに「10代のかわいらしい女の子」といった一面もあり、群馬や東京、遠い方だと沖縄から舞妓になるためこの世界に入ったのだそうだ。私の10代といえば、スポーツに明け暮れていた毎日だっただけに、全く異なる世界で同じときを過ごすその姿は、なんとも惹かれるものがあった。人の人生は、本当に1つとして同じものがないからこそ、やはりおもしろいのだと改めて感じた瞬間だった。

  19歳のまだあどけなさが残る舞妓さんから「もうこの世界ではかなりの古株だ」と少し照れくさそうに教えてくれたのが印象的であった。街中で良く見かける同世代の若者にはない大人っぽさや品格、しかしどこか幼いかわいらしさがある。それがどの舞妓さんにも持った印象であった。

  しかし、話せば話すほど私が想像していたよりも“普通の女の子”の部分があり、なんとも親しみやすい。そんな両方が相まった一面こそ、まさに“プロ”である証拠なのだ。

  一方で、芸妓さんは舞妓さんとは異なり、やはり「大人の美しさ」を持ち、演舞もゆったりと気品あふれる姿でなんとも美しく見惚れてしまうほどであった。



  お話の最後に、千社札(せんじゃふだ)を頂いた。所謂名刺代わりのようなもので、お財布に入れておくと非常に縁起が良いのだそうだ。前回ご紹介した「手織絨毯展示会」に続き、非常に有意義な時間を過ごせた京都の旅であった。




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