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いざ関ヶ原へ!―東京藝大のモザイク講座に参加して―

Mimi 2016.10.27

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 東京藝術大学は様々な公開講座を催す。過酷な受験勉強して藝大に入りもしないで、藝大の教授などという雲の上の存在の方々の薫陶を受けるなんて、めったにない機会である。

 これまでも彫金、日本画、陶芸、テラコッタなど、いろいろな講座を受講したが、結果的に何を学んだかと言うと、自分の不器用さを自覚したことか。だが、出来上がった作品が目も当てられないような物かというと、そうでもない。少なくとも、自分ではまずまずの出来映えなので、我が家の客は応接間に通されるや、私が得意げに見せる作品にお愛想を言わされる羽目になる。これはひとえに、助手の先生たちが、文字通りお「手」伝いしてくださったからである。

 私のような不器用は、自分で作るのはあきらめて、もっぱら誰か芸術家の作品を鑑賞していればいいのである。そうすれば、材料になる地球の貴重な資源を浪費することもない。助手さんを煩わせることもない。慣れない労働に疲れはてた体のマッサージ代の必要もなくなる。

 だが、今回意を決してモザイク講座を申し込んだのは、モザイクというものをどうやって作るのかに興味を持ったからである。

 遡れば7,8歳の頃か、父が全八巻の世界美術全集を買ってくれた。小学校から帰ると、その美術全集の前に行き、今日はどの巻を読もうか思案し、決めると夢中になって眺めた。

 中でも好きだったのは「ラヴェンナの宝石」と題された壁画だった。中心に若い男がいて、その両脇に天使と思われる翼の生えた人たちがいる。(その中心の若い男がキリストだと知るのは、後になってからだ。)その男は憂いを目に湛えている。

 なんと悲しい目!だがその悲しみは、今の悲劇を反映しているのではなく、何かこの男の運命を表しているのだと幼心に感じた。小さな四角い石を並べただけで描かれている世界は清浄な静かさに包まれており、胸苦しくなるほどだった。

 私がその壁画と対面することになったのは5年前だ。ベニスの友人の別荘に夏の間滞在していた時、Mosaico di Notte (モザイクの夜)のちらしを見つけた。ユネスコの世界遺産になっている建物群を夜特別にライトアップしてくれるらしい。場所はラヴェンナ。子供の頃の美術全集で見た、「ラヴェンナの宝石」というタイトルが脳裏に蘇った。

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 私はその催しのある日に合わせてラヴェンナに行った。昼間一人で教会回りをしたが、最初に行ったサン・ヴィタレ教会で天井高く見上げた時、例の若い男のあの悲しい目と再会したのだ。そのキリストの姿のなんと初々しいこと。子供の頃の美術全集の中の一葉が、時間と空間を飛び越して私の目の前にある。その日の私の日記には、「次々と訪れる教会でモザイクを見るたび、感動が積み重なり、組み合わさり、重層的に、何かシンフォニーを聞いてどんどんクライマックスに近づいて行くような興奮の高まり」を感じたと書かれている。

 藝大のモザイク講座は、夏の一週間、取手校舎で行われる。私はまず、取手市が、千葉県、茨城県のどちらにあるのかも知らなかった。調べると家から通えない距離ではない。だが講座のみに集中するために、一週間取手のホテルに泊まろう。講座の申し込みと同時にホテルも予約した。講座の定員は15名とある。後は、定員に入れることを祈るだけだ。

 しばらくして、受講通知書が届いた。その時はモザイク画をどのように作るのか、皆目見当がつかなかった。多分細かな石を支給されて、並べて行くのではないか、と漠然と想像していた。だが、受講料を払い込んだ後で、以前その講座を受講した友人から、金づちで石を割るので手が血だらけになる、という情報を貰い愕然とした。私は中学校の技術家庭の授業以来金づちを触ったことがないのだ。指を全部金づちで潰してしまい、血まみれの手におろおろと震えている自分の姿を想像して身震いする。

 以下は私のモザイク作成格闘記である。

Day 1



 朝早く家を出て、取手駅に着く。宿泊先の取手セントラルホテルにスーツケースを預けると、藝大を通るバスを待つ。30分以上待ってバスが来た。「藝大前」下車。ところが、それは緑豊かな山の中で、見回しても藝大らしき建物がない。突然心細くなる。このまま藝大が見つけられなかったらどうしよう。

 すると、私と一緒に下車した若い女性が先に歩いている。その人に声をかける。「藝大に行きたいんですけれど。」幸い彼女、イトーさんは藝大生だった。「私と一緒に行きましょう」と誘ってくださり、ほっとする。彼女は取手校舎で行われる別の講座に参加するためにやって来たと言う。上野の藝大と違い、広い敷地の中にポツン、ポツンと建物が点在し、どこか外国の研究所にでも来たようだ。イトーさんは2年生。藝大生は最初の一年取手校舎に通うそうで、取手にも上野にも通えるところにある寮に住んでいるのだそうだ。

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【藝大では木立さえもかっこいい】



 そんな話をしているうちに目指す建物が見えてきた。イトーさんはご親切にも、私を講座の場所まで連れて行ってくださった。もう逃げ帰れない。 結局講座の参加者は6人である。教師陣は、工藤晴也教授をトップに助手の山田淳吉氏、大塩博子氏。自分がこれから作る図柄を選んだ後、工藤教授の講義が教室で行われた。

 教授が自分で世界各地を回って撮った写真のスライドを見ながらの講義である。ペルガモン美術館とか、パレルモのマルトラーナ教会、モンレアーレの大聖堂、トルチェッロ島のサンタ・マリア・アスンタ教会とか、私が行ったことのある各地のモザイクも映し出され、興味深い。モザイクという共通項をテーマに、こうして歴史的、体系的に見たことがなかったのだ。ヴァチカン美術館の今は閉鎖されている部屋のだまし絵の床(魚の骨、カニの足、ウニ、オリーブの種などが宴会の後ポイ捨てされている状況)など、貴重な写真も見せていただいた。

 中でも興味深かったのは、ラヴェンナのサンタポリナーレ・ヌオヴォ教会にある「聖女の行列」についてのお話だ。これは5世紀から6世紀初頭の作品だ。教授はずらりと並んだ聖女のうち、一人の指の部分に注目。モザイクがなく、下地のフレスコが見えていた。

 つまりこの行列の壁画はフレスコで最初に描かれた後、モザイクが施されたということが分かったのだ。本来モザイクで仕上げるところをフレスコだけで描かれるようになったのは手抜きの時代が到来したということ。それが、油絵の時代に繋がって行く。これは大発見なのだそうだ。

 私も、次々と映し出されるスライドを思い出せるようイラスト付きでメモを取る。

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【左:サンタポリナーレ・ヌオヴォ教会の『聖女の行列』

右:イラストを描きながらスライドのメモをとる】



 教授の講義の後には、石割開始。一人ひとりに石割台と金づちが与えられる。先ほど決めた図柄に合わせて大理石置場から必要な色石を選んで持ってきて、細かく割るのだ。

 まず、教授の実演。カチンと金づちを打ち下ろす度に、石はまっすぐな表面を見せて正確に割れる。幾何学の図で描かれたものが3次元化されたかのように、次々と細かく切断されていく。最初は2センチ角の立方体が、角砂糖のようになり、最後には、一辺2ミリ程度の立方体に割られた。まったく同じ形と大きさの細かな石粒があっという間に出来る。

 教授がやすやすと石を割ってみてくださったので、「石ってこんなに簡単に割れるものなのか」と思ってしまったのが最大の勘違いだった。教授のやって見せたのは正に神業なのだということが、実際に自分で石を割ってみてわかったのだ。石割台の楔に石をあてて、親指と人差し指で押さえ、金づちを打ち下ろす。軽い力では割れず、うんと力を入れると石は粉々になってしまう。

 粉々にはならないにしても、直角の割口など決して出ず、立方体とは程遠い、屑のような石のかけらが散乱するのみだ。私の隣の女性は、以前この講座を取ったことがあるとのことで、あっという間にかなりの石を割っている。脇で彼女が数十個の一辺4ミリの立方体を生み出しているというのに、私ときたら、まだ一つもまともな立方体を作れないのが悲しい。

 「ぎゃっ!」思わず出た自分の声に驚く。なんと金づちで自分の指を叩いたのだ。指先から血が出ている。早速助手さんが、応急セットを持ってきて、マキロンで消毒してバンドエードを貼ってくださる。ああ、これからどれだけ自分の指を打つことになるのだろう。暗澹とした思いに駆られる。

Day 2



 今日は制作の続きだが、まずきれいな色のモザイクを見せていただく。ベネチアの会社のガラスモザイク。似ているが安価な日本のモザイク。そして、ラピスラズリ、クリソコラ、アズライトなどの鉱物。モザイクと言っても、大理石だけではなく、いろいろな材料が使われるのだ。

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【下段左:石切りを実演する工藤教授】



 硬かったり、割りにくい石の加工には床に置いて使うガラス切り機が役立つ。中に水が入っている機械から回転刃が顔を出し、それに石を押し当てて切る。

 自分の石がある程度確保できた時点で、予めセメントを塗り、手本を写してある下地にモザイクを並べる工程が始まる。まずメディウム作り。板の上でコンクリートの粉とエマルジョンを混ぜる。混ぜ方は、もんじゃ焼きを作る時のように、コンクリートで丸い土手を作ってその中にエマルジョンを垂らし込んで、プラスチック製のコテで混ぜるのだ。一時間以内に使い切る分量。硬くなってきたら霧吹きで水を加えてまたこねるのだが、繰り返す度に粘着力が弱まるのだそうだ。

 下地の上、2センチ×3センチくらいの部分に水を掛け、その部分だけ上記のコンクリートを使って石を並べる。これも、教授がやると整然と正確に石が並べられるのだが、私がやるとうまく行かない。ぐずぐずになり、斜めに突き出たり、倒れたりする。だんだん上手になって行くので、隅の目立たないところから始めるように、と言われたが、私の場合上手になるなんてことがあるのかしら、と疑問だし不安に思う。

 石割に私があまりに苦戦しているのを見かねて、助手さんが救いの手を差し伸べてくださる。必要な石を割っては届けてくださるのだ。そんな時教授が、皆に話した。「これは奴隷のお仕事でした。」

 わあぁ!どうしよう!もし私が2千年前の奴隷だったら、あまりに不器用で首になって、便所掃除でもしていろ、と言われてしまう。もしかしたら、本当に首をちょん切られてしまうかも。そんなことを考えると、手が震えて金づちの手元が狂ってしまう。

 教授が回っていらっしゃり、私の選んだ柄の鳥の目玉部分を作ってくださる。真ん中の黒い玉。その周りをチッチッチッチッと囲む白い石を、原図通りに作る技術には「ぶったまげた」と言う他はない。まず、時計だとしたら12時、4時、8時くらいの位置の石を割って作り、次にその間の空間の石を割って置くと、あらま!原図通りになっている。教授曰く、「模写というのは、勝手な解釈でするのではない。まったくそのままに写すことです。」

 もし、床にあんなに石のかけらが飛び散っている教室でなければ、ははぁ!と土下座したところだ。

 他の作業すると、せっかく教授の作られた鳥の目を破壊してしまいそうだったので、今日はこれで仕事をやめにする。

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【左:工藤教授の作ってくださった鳥の目とお手本】



モザイクの講座でお友だちになったのは、恵美さんだ。取手に住む彼女は車で藝大に通っており、私が取手のホテルから通っていることを知ると、初日の帰りにホテルまで送ってくれた。そして翌朝からホテルにお迎え、帰りもご一緒という私が願ってもいないことを、一週間続けてくれた。バスの便が悪いので、大感謝だ。

この日、彼女は取手駅の駅ビル、ボックスヒル前で私を下ろしてくれた。ここには私の好きな成城石井やFLOも入っている。毎日、その日の晩ごはん、翌日の朝食とお昼、この三食分をデリカテッセンで選び、効率よく食べきるようにするのだ。初日に好みのビールのシックスパックを買ったので、おつまみも必要だ。勿論デザートも。

さて、ボックスヒルをぶらついていたら、藝大の学生さんを中心とした芸術作品を展示販売しているコーナーに行きあたった。そして何と、大変上手に出来たモザイク作品が展示してあるのだ。お世話になっている助手の大塩さんの作品4点。石を割る労働の大変さと根を詰める作業を考えると、これだけの作品を作るのはどんなに労力がいることか。

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 その大塩さんと言えば、明日からお休みだそうで、その前に私のためにタイルを割っておいてくださった。こんなに素晴らしい作品を作れる人にタイルを割っていただくなんて、と恐縮。

Day 3



 今日は大塩さんに替わって、大西利佳さんが助手。フランスで一年フレスコ画を勉強して、ちょうど帰って来たところだという。

 ところで、私の図柄は一番易しいのを選んだはずだった。だがそうでもないことが分かった。鳥の輪郭に細い緑の石がずっと巡っているのだ。この緑の石は、とても扱いが難しく、ちょっと金づちで叩いただけで砕け散ってしまう。

 有難いことに、教授が大西さんをその緑石割係に任命してくださった。彼女は私の脇で黙々と石を割り、私はそれを貼って行く分担作業が始まった。効率がいいし、二人でやると楽しい。

 大西さんのアトリエは、真向い。アトリエ見学をさせていただく。大きなアトリエを区切って10人くらいで使っているようだ。入口はいってすぐの大西さんのアトリエでは、実物大の羊のオブジェがお出迎え。藁がはみ出している。まだ制作途上のものだそうだ。フレスコ画というと平面のものを予想していたので驚いた。平面のフレスコ画も見せていただき、現代のフレスコ画に触れた思いだった。

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【大西さんが制作中の羊(左)と完成した鳥のオブジェ】



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【輪郭が出来てきた】



Day 4



 少しやり方の要領が掴めてきた。一粒一粒お手本通りに割って貼るのではなく、ここ一列同じような形の石が必要、とわかると、先に石を揃えておく。その後に貼る作業に入るので、セメントも途中で乾かずうまく行く。

 それに自分なりのノルマも決めた。この一時間にここを終わらせよう、と2センチ×3センチ程度の空間を決める。時計をチラチラ見ながら、作業するのだ。実際には、細長かったり、二等辺三角形だったり、さまざまな変形の石が必要になってくるし、それを割り出そうとしてもうまくいかない。これまでは、一時間かけても、一粒の正確な形の石が割れるまで頑張ってきたが、完璧を目指すのではなく、ノルマの時間に終わらせるべく妥協する決心をすると事は簡単。最終日までに何とか完成させたいので、逆算で時間を考えて、今自分の出来る能力の範囲で作品作りに取り組むことにする。

 相変わらず金づちにはまだ慣れない。指を打ってはぎゃっと叫ぶ。だが、初日には皆の注目を浴び、助手さんをしてレスキューに走らせたこの叫びを、今では皆さん完全に無視だ。これは有難い。そんなことで注目されたくないから。

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Day 5



 今日、休憩室で恵美さんとお昼を食べていると、助手の山田さんがやって来た。そして、私たちの求めに応じて、ご自分の描いた絵の写真が収まっている2冊のホルダーを見せてくださった。ブレイクを尊敬しているという彼の絵は、幻想的な世界が緻密に描かれ、心を奪われる。本物の150号のキャンバスならどんなに迫力があるだろう。

 こんな立派な絵を描く人に、石割をお願いしているのを申し訳なく思う。

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【真ん中の部分が完成。両サイドに取り掛かる】



Day 6



 教授は、とても親切でお優しい。だが、私のすぐ近くの女性は、せっかく出来た作品の一部を毎日のように教授に剥ぎ取られている。お手本通りに出来ていないらしい。それを横目でチラチラ見ながら、せっかく貼った作品を鉄のバーで剥ぎ取られるなんてことだけは、避けたいと思っていた。

 ところが、私が自分の作品を作っていて、石の大きさがほんの少し違ったために、お手本の中にある黒いラインが入れられないと気づいた。教授に話せば、じゃあ、剥ぎ取りましょうなんていうことになるんじゃないかしら。そうしたら、これまで貼り終わった鳥の胴体部分の大部分を剥ぎ取ることになってしまう。二日間の仕事が無に帰する。恐る恐る教授のご意見を伺うと、意外にもOK。助かった。

 それからは、順調に進み、受講生中一番に完成。

 最初のうちに貼った部分は慣れなくて稚拙だ。最後の方には石の形も細かく揃い、うまくなっている。一枚の板に、下手からうまくなっていく過程が凝縮されていて面白い。

 それに下手なのはそれはそれで迫力がある。上手な人にはできない「おかしみ」があるように思う。なぁんて自己弁護も甚だしいが。 時間があるので、うちのセキセイインコのピクチャを作ることにする。 ピクチャも完成。

 午後からは講評。6人で始めた講座だったが、一人は二日目から欠席、結局5人が最終日まで残った。互いにおしゃべりしながら作業したわけではないが、こうして一週間同じように石と格闘してきてみると、同士のような気分がしてくる。

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【金色のガラスタイルを割り、

PICTURE の名を頭部分に入れたら光輪のようになった】



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【左:工藤教授の作品の数々はフランスのモザイクの雑誌に

6ページに渡って紹介された】



 たったA4版程度の絵を完成させるのだけでも、これだけの労力がかかるのだ。大きな大聖堂など、どんなに大変か想像を遙かに超える。ただ、一つの朗報があった。初日に教授が、モザイク作りは奴隷の仕事だとおっしゃり、私は自分が奴隷なら不器用なために首を刎ねられてしまうのではないか、と恐怖感に駆られながら作業していたのだが、奴隷は奴隷でも、いわゆる外国から連れてこられた技術者のようなものだったらしい。私のようなしろうとは最初から人選に入らない。ほっとした。何がほっとしたのかと聞かれても困るのだが。今は奴隷の時代じゃないし。

 さて、ここからタイトルの「いざ関ヶ原へ!」が繋がる。実は、自分の不器用さを、今回も完膚なきまで悟らされたが、モザイク作りを続けたいと思ったのである。勿論教授、助手さんたちのお手伝いの成果が作品になっているのだが、最後の方には石を割るのも少しは上達したし、貼り方のこつもわかってきた。

 例えば別荘の庭の雑草が生える部分にモザイクの床を施したらどうだろう、などという壮大な考えも浮かんでくる。お風呂場を改装してポンペイの浴場のように美しいモザイクを天井にも床にも張り巡らしたら、などという構想も湧いてくる。

 教授が関ヶ原に輸入大理石を扱う会社があるとおっしゃった。そうだ、関ヶ原に行こう。そのためには、車で行って大理石を選び、積んでこなければならない。私は数年前左ハンドルのベンツのコンバーチブルを買ったのだが、左ハンドルが苦手で運転を躊躇していた。いつか必ず乗ってやるぞという意気込みが、今回のモザイクの一件で現実のものとなった。

 今私は、運転の練習を始めている。「いざ関ヶ原へ!」と心に言い聞かせながら。当面は、恵美さんが取手滞在中に連れて行ってくれた「ジョイフル本田」に行きたいのだが。

 実は、私はこの原稿を淡島ホテルで書いている。自分にあげる「お疲れ休み」だ。ここは全室スウィート。今いる部屋は、ベッドルームに広いリビング、そして和室、その隣の小部屋にもベランダにも椅子テーブルセット。だが、いつものように楽しんでいない自分がいる。

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【左・中:淡島ホテルの全景と部屋の洗面所。

洗面所が大理石で出来ていると気づいたのもモザイク講座のおかげ

右:食堂の窓越しに海を眺めながらカンパイ】



 ベッドルームからトイレまで10メートルくらい歩かなければならない。トイレからバスルームまでも7,8メートル。これまではそれが普通だと思って来たが、取手で泊まった「セントラルホテル取手」の実用性が懐かしい。そのビジネスホテルは壁に沿ったテーブルの下に冷蔵庫。上にはテレビ。冷蔵庫から食物を取り出し、テレビを見ながら食事をして、くたびれるとすぐ後ろのベッドに倒れ込む。

 トイレとお風呂が一緒のバスルームは、ベッドのすぐ隣だ。何という効率の良さ。奴隷のお仕事をしてくたびれて帰って来た私には、最良の空間だった。私はこれまで狭いところには住めないと信じていたのだが、案外そうでもないことを初めて知った。むしろ狭い方が快適で便利なこともあるのだと。

 だだっ広いスィートルームで、セントラルホテル取手のコンパクトさを恋しく思う。そして怒涛のモザイク作りの一週間をガラスモザイクの煌めきのように思い出す。どんな豪華なホテルに滞在しても味わえない、何という贅沢な一週間を過ごしたのだろうと改めて思う。そして、親身になって指導してくださった藝大の先生方に心から感謝しながら、乾杯。



******旅先で出会った美しいモザイク*******



以下は私がこれまで旅先で出会ったモザイクの写真です。



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【左はイタリア・モンレアーレの聖堂 中央は聖堂のモザイク、右はフィレンツェのウフィツィ美術館】

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【左:Museo Nazionale Romano/Palazzo Massimo (ローマ・テルミニ駅近くの国立美術館)のモザイク、右:スビアコのサンベネディッド修道院で出会ったモザイク】

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【こちらはトルコ、エフェス遺跡のモザイク】

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