世界で一番おいしいダック

Mimi 2016.07.06
 食物を目で楽しみ、咀嚼しておいしいと感じるのはほんのわずかの時間にすぎない。しかも、食べてしまった後になってから、舌で味わい、喉に流れていく過程を追体験することは不可能だ。

  だが、キャサリン・マンスフィールドは、読者がそれを食べてもいないのに、追体験するのを可能にした。”Prelude” (邦題:前奏曲) において、その家の主人、スタンリィ・バーネルの夕食のテーブルに供されるダックである。

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  作男のパットがその日の午後、庭の小川に集っているアヒルの群の中の一羽を選び、その首を一撃のもとに刎ねる。首のないアヒルは切り口から血を吹き出しながら、よちよちと小川の方に歩き出す。その一部始終を見て興奮し、高揚感に浸る子供たちの描写といったら!

  そうそう、ダックに話を戻さなければ。次にダックが登場するのは、調理済みの状態である。

  その晩アリスがスタンリィ・バーネルの前に白いアヒルを置いたとき、それに頭がついて生きていたことなんてなかったように見えた。

  それは、美しく脂がのり観念して、青い皿の上に横たわっていた。

  “beautifully basted resignation” を下線部のように訳してみたが、一体誰がこれまで、ダックの心情にまで心を馳せただろうか。マンスフィールドは、さっきまで小川で人生を謳歌していたダックが、はからずも調理されて皿に載った姿に諦観の念を感じたのだ。

  焼き上げられたダックは女中のアリスとも比べられる。どちらも同じくらい脂ぎっていて、つややかな張りのある肌をしている。アリスの肌色が燃えるような赤色をしているのに対し、ダックはスパニッシュ・マホガニー色であるだけが違いである。

  スタンリィは思う。

  これは肉なんてもんじゃない。極上のジェリーのようなものだ。

  そして彼の父親の言いぐさを披露するのだ。

  こういう鳥は子供の頃母親にジャーマン・フルートを吹いてもらって育ったに違いない。だから妙なる音を出す楽器の甘美な旋律が、雛の心に素晴らしい効果をもたらしたんだ。

  上記の描写を読むたび、私はごくりと唾を飲む。この描写に匹敵するようなダックは、読者の想像上でしか存在しない、だから、私のダック料理の究極の目標は、ラトゥルダルジャンではなく、バーネル家の食卓に載った、あのダックだ。

  この頃は腹に詰め物をしないのが主流だが、私は絶対に中に詰め物する派である。以前、詰め物をしたのとしないのと、二羽の鶏で試したことがある。詰め物をした鶏の方が、数倍おいしく焼きあがった。同じ鶏とは思えないほどに。

  さて、梅雨の週末の土曜、家族で別荘に行った。夜のパーティでダックを出そうと決め、二日前から冷蔵庫で解凍を始めた。車の中でもアイスボックスに入れ、ゆっくり解凍する。

  午後4時、パーティの準備を始める。別荘でドタバタしたくなかったので、大鍋にゴードン・ラムゼイのビーフ料理を作って持って来たし、自家製の彩りゆたかな巻きずしなどいろいろな食べ物を準備。万一ダックが失敗しても、十分乗り切れる目鼻はついている。

  アシスタントは息子のフィアンセ。ダック用の詰め物の材料を二人で刻む。今回はマーサ・スチュアートのレシピにした。チョリソーの皮を剥いて中身を刻み、炒めて脂分を取ってから、ニンニク、玉ねぎ、香草や白インゲン豆と一緒に詰め、最後にまるまる一個のレモンを押し込むのだ。レモンを突っ込む大胆さが気に入った。

  一人で料理するのと違ってラブリーなフィアンセとおしゃべりしながらだと楽しい。彼女は上手にタイムの茎から葉をはずしてくれる。

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  さて、詰め物の準備が整ったところで、まずダックについている説明書を読む。オレンジ・ソースとスタッフィングのライス、neck とgibletsを取り出すような指示。ええっ!neck ってまさか首?それにgibletsって何?辞書によると内臓だ。おまけに、THIS INFORMATION DOES NOT INCLUDE NECK AND GIBLETS. と説明のトップに書いてあることに気付いた。首と内臓はどうすればいいの?

  とにかくダックのお腹に手を入れて、パウチ入りのソースとライスを取り出すのに成功。次に意を決して首を取り出そうとするが、内部がまだ凍っていてなかなか首が引っこ抜けない。棒のような首の切り口を掴んで力づくで引き抜く。更に腹の中を探ると、内臓らしきものが次々出てきた。

  ダックに詰め物をし、最後に塩コショウとパプリカをまぶす。マーサのレシピでは白ワインを天板に注ぐのだが、マルサラ酒にした。

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  別荘のオーブンレンジはフランスのロジエール社製だ。このオーブンには、温度計も、タイマーもなく、1から10までの目盛があるだけなのだが、目盛をいい加減に合わせても、料理は完璧に出来上がる。オーブンが料理人の心を理解するとしか思えない。

  さて、この信頼できるオーブンにダックを入れたところで、外に車の着く音。アメリカ人のブライアンとそのフィアンセのドリスがやって来た。

  早速ドリスに、これはどうしたらいいの?と首と臓物を見せる。これで出汁を取るのよ。彼女は腹に入り切れなかった詰め物と一緒に、首と内臓を煮る。十分出汁が出た頃を見計らって、網で濾し、小麦粉でとろみをつけると、ソースの完成だ。

  その後、お客が次々とやってきて賑やかなパーティが始まった。今日は総勢10人半。(赤ちゃん連れのカップルがいたので。)

  ドリスは上海ディズニーランドのアート部門を担当し、無事開園したのを機会に、日本にいるブライアンと合流した。せっかくきれいに完成させたディズニーランドなのに、中国の人が粗末に扱っているのを嘆いている。

  夜7時、オーブンの扉を開いてダックを取り出す。外は美しく焼けている。中は?恐る恐る足の付け根のところにナイフを入れると透明な肉汁!OKだ。

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  ドリスのアイデアで、まず焼き立てのダックをお客のテーブルに持って行き、皆に目で楽しんで貰う。その後、キッチンで切り分けてくれた。ブライアンも手伝う。

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  食べて見ると、オレンジ・ソースの柑橘系の香りと、ドリス特製の濃厚なソースが相乗効果でダックの風味を引き出している。詰め物が肉を柔らかくほぐしてジューシーな食感と旨みを与えた絶品。お客さんたちも大満足。

  だが、うちのダックもバーネル家と同じく青い皿に載せたが、「観念して」載っているなんて表現を思い出しもしなかったし、ダックの幼少期について想像するのも忘れていた。

  うちのダックもおいしいけれど、さっきまで小川で遊んでいたダックの方がもっとおいしいだろうな、なんて考える。おいしがってダックを食べた後も、バーネル家のダックにあこがれている自分がいる。

  ロジエール社のオーブンも使わず、世界で一番おいしいダックをペン一本で実現したマンスフィールドに脱帽。
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